うえのだいぶつ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
上野大佛ではいただけません
広告
上野大佛のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月18日(金)
参拝:2024年10月吉日
上野大仏は、東京都台東区の上野恩賜公園内に位置し、その顔だけが現存しています。この大仏は、薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔とともに、上野精養軒の隣の大仏山という丘の上にあります。
●歴史的背景
上野大仏は寛永8年(1631年)に越後村上藩主の堀直寄によって建立されました。最初の像は漆喰で作られた釈迦如来坐像で、当時は露座であったことが『江戸図屏風』にも描かれています。しかし、歴史的に多くの災害に見舞われました。
正保4年(1647年):正保相模地震により大仏が倒壊。
慶安2年(1649年):頭部が落下。
万治年間(1658年 - 1661年):遊行僧の浄雲によって金銅像として再興。高さ約6.6メートルの青銅製の大仏が再建されました。
その後も火災や地震に見舞われ、特に天保12年(1841年)には大仏殿から出火し、頭部が溶け落ちました。安政2年(1855年)には再び修復されましたが、明治8年(1875年)に上野恩賜公園の整備に際して大仏殿が撤去され、露座に戻りました。
●関東大震災とその後
1923年の関東大震災では、頭部が落下し、大きな損傷を受けました。震災後、胴体は寛永寺に保管されましたが、第二次世界大戦中の金属供出令により、顔面部を除いて持ち去られてしまいました。このため、現在残るのは大仏の顔だけです。
●歴史的背景
上野大仏は寛永8年(1631年)に越後村上藩主の堀直寄によって建立されました。最初の像は漆喰で作られた釈迦如来坐像で、当時は露座であったことが『江戸図屏風』にも描かれています。しかし、歴史的に多くの災害に見舞われました。
正保4年(1647年):正保相模地震により大仏が倒壊。
慶安2年(1649年):頭部が落下。
万治年間(1658年 - 1661年):遊行僧の浄雲によって金銅像として再興。高さ約6.6メートルの青銅製の大仏が再建されました。
その後も火災や地震に見舞われ、特に天保12年(1841年)には大仏殿から出火し、頭部が溶け落ちました。安政2年(1855年)には再び修復されましたが、明治8年(1875年)に上野恩賜公園の整備に際して大仏殿が撤去され、露座に戻りました。
●関東大震災とその後
1923年の関東大震災では、頭部が落下し、大きな損傷を受けました。震災後、胴体は寛永寺に保管されましたが、第二次世界大戦中の金属供出令により、顔面部を除いて持ち去られてしまいました。このため、現在残るのは大仏の顔だけです。
すてき
投稿者のプロフィール
ひでどらごん699投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。