ゆしまごりょうしゃ
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湯島御霊社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月31日(日) 18時49分52秒
参拝:2025年4月吉日
東京都文京区に鎮座する湯島御霊社に参拝しました。輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が、江戸での自身の守り神として京より御霊神社の御分霊を勧請し、上野に創建されたのがはじまりです。
宝永7年(1710)に宮様が上野から湯島の御隠殿に移られた際に、当社も現在地に遷されました。
屋敷跡の年代からみて、この宮様とは3代目輪王寺宮、「公辯法親王(こうべんほっしんのう)」のことだといいます。公辯法親王は第111代後西天皇の第六皇子で、出家して天台宗僧侶となり、輪王寺門跡に就任された際に関東に下向されました。
当社には相殿として「輿財恵門(よざえもん)稲荷」が祀られていますが、関東下向の際に宮様を水難から守った従者の方のお名前になります。
後に宮様が薨去されると御隠殿は廃止とされ、跡地は菜園となり「大根畑」「御花畑」と呼ばれるようになりました。 そのまま残された当社は「畑の稲荷」「大根稲荷」「新花稲荷」など、八所御霊よりも馴染みの深いお稲荷さんの名で呼ばれ、住民に篤く崇敬されたといいます。
昭和46年より湯島天満宮が兼務されています。
宝永7年(1710)に宮様が上野から湯島の御隠殿に移られた際に、当社も現在地に遷されました。
屋敷跡の年代からみて、この宮様とは3代目輪王寺宮、「公辯法親王(こうべんほっしんのう)」のことだといいます。公辯法親王は第111代後西天皇の第六皇子で、出家して天台宗僧侶となり、輪王寺門跡に就任された際に関東に下向されました。
当社には相殿として「輿財恵門(よざえもん)稲荷」が祀られていますが、関東下向の際に宮様を水難から守った従者の方のお名前になります。
後に宮様が薨去されると御隠殿は廃止とされ、跡地は菜園となり「大根畑」「御花畑」と呼ばれるようになりました。 そのまま残された当社は「畑の稲荷」「大根稲荷」「新花稲荷」など、八所御霊よりも馴染みの深いお稲荷さんの名で呼ばれ、住民に篤く崇敬されたといいます。
昭和46年より湯島天満宮が兼務されています。
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく823投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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