真言宗智山派
成就院のお参りの記録一覧

駐車場はありません。下谷神社のすぐ近くです。
綺麗に整備された境内のお寺でした。
御朱印をお願いしたところ、丁寧にご対応いただきました。
(御朱印第1098号)
直書き
御供物いただきました
お大師さまと大師堂
こちらは観音様
お庭も綺麗でした

成就院(じょうじゅいん)は、東京都台東区に位置する真言宗智山派の寺院であり、山号は「摩尼山」、寺号は「宝光寺」、院号は「成就院」となっています。「摩尼」とはサンスクリット語で「宝」を意味し、成就院の名前には、願いがかなうという神聖な意味が込められています。
●歴史的沿革
成就院の開山は1611年(慶長16年)に鏡傳法印によって行われ、元々は神田北寺町に位置していました。1648年(慶安元年)に江戸の町の発展に伴い、現在の地へ移転しました。移転した当初、この地域は田んぼに囲まれており、「田中の成就院」とも呼ばれていました。また、近くには藁の集積地があり、「わらだなの成就院」という別名も存在します。
成就院に関する記録は、江戸時代後期の文政年間に提出された「取調箇條書」などの古い文書が残っていますが、詳細な縁起を伝える文書は見つかっていません。安政の大地震や関東大震災などの自然災害によって堂宇が焼失したため、歴史的な記録も少ないのが現状です。
●文化財とご本尊
現在の成就院には、江戸時代から伝えられている大日如来を本尊とし、左手に観世音菩薩、右手に阿弥陀如来の大日三尊が安置されています。さらに、左端には吉祥天、右端には多聞天、不動明王が配置されており、歴史的な価値を持つ仏像たちが並んでいます。大日如来は江戸時代からのものであり、他の像は昭和に謹刻されたものです。
●現代の成就院
成就院は、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の中にも登場します。

🌸成就院(じょうじゅいん)に御参拝させて頂きました🙏 🌼東京都台東区東上野にある真言宗智山派の寺院です。
🌺当院の約400メートル東の同区元浅草に同名の寺があり、そちらの寺も真言宗智山派で混同を避けるため、当院はかつて下谷の田んぼの中にあったことから「下谷田中成就院」とも呼ばれています。
☘️1611年(慶長16年)、鏡傳法印によって開山された。元々は神田に位置していたが、1648年(慶安元年)に現在地に移転しました。
その後、安政大地震や関東大震災などで堂宇を焼失しているので、成就院の由来を記した文書は残っていないそうです。
🔸池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の「夜鷹殺し」で、当院の名がでることから、鬼平ファンが聖地巡礼に訪れています。
🍁所在地: 東京都台東区東上野
3丁目32−15
東上野の成就院(御府内八十八ヶ所霊場 第七十八番札所)へお参りしました。
元浅草の百観音成就院と区別するため、下谷田中成就院と呼ばれていたそうです。
境内はとても美しく、様々な菊の花が咲き ホンワカとした良い雰囲気です^^
山門です。
山門の右隣に「弘法大師」 石碑
正面玄関の額
「成就」の文字が素敵です✨
弘法大師さまの像
お地蔵さま
手水舎
ご朱印と巡拝記念を頂きました。

地下鉄銀座線「稲荷町駅」下車徒歩1分。
御府内八十八箇所霊場第78番札所の真言宗寺院。ご本尊は大日如来です。
1611年鏡伝法印が開山しました。
台東区内の霊場内は、もう一つ「成就院」が400メートル先にあるので、時折混同することがあるそうです。
こちらは上野側にあり、かつて下谷地区に田んぼの中にあったことから「下谷田中の成就院」とも呼ばれていたそうです。
このあたりにかつて池波正太郎が住んでおり、「鬼平犯科帳」の撮影の際にはスタッフと共にご挨拶にやって来たとのこと。
「夜鷹殺し」の話の中で当院の名前が出てきます。
現在でも「鬼平フリーク」が訪れています。
上野から浅草へ向かう界隈は多くの寺院が集まっております。
本堂です。
浅草などの下町界隈は、東京大空襲で多くの被害を受けましたが、この本堂は被害を受けずに残ったそうです。
観音堂です。
弘法大師像です。
よく見掛ける像は、立ち止まっている姿ですが、こちらの像はこれから旅立つ像になっています。
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