曹洞宗
清見寺のお参りの記録一覧
青梅街道を新高円寺から東高円寺へ向かう街道沿いに地蔵尊が目印で、お地蔵様の右手から参道になります。
「馬橋の灸寺」の愛称を持つ寺院
瑞雲山清見寺(ずいうんざん せいけんじ)は、梅里2丁目にある曹洞宗の寺院で、この一帯は1968(昭和43)年に住居表示が実施される前まで馬橋という地名だったことから、通称「馬橋の灸寺(きゅうでら)」と呼ばれてきたそうです。
「灸寺」という愛称の由来は、先々代の住職に鍼灸(しんきゅう)の心得があり、檀家(だんか)や近隣の方々に治療を施していたそうで、
『杉並風土記』によれば、同寺では明治末年から灸治療が行われ、旧本堂脇の内玄関に「官許、瑞雲山清見寺、名灸点」の看板が掲げられていたという。その治療は、昭和50年代まで続いていたようです。
清見寺の開創は寛永年間(1624-1644)の前期頃とされ、元禄年間(1688-1703)に火災に見舞われた。1936(昭和11)年には練馬区にあった道場寺の本堂を移して改築。現在の本堂は、その後1993(平成5)年に新築したものとのこと。
本堂の軒の四隅には、風鐸(ふうたく)と呼ばれる鐘形の鈴が下がっている。
山門からも見える高さ約3mの大きな石仏は、左から弘法大師(こうぼうだいし)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)。台座側面の碑文には、清見寺の檀家であった関口家が1934(昭和9)年に寄進したと彫られている。
もう一つ、
清見寺は、杉並の小学校発祥の地とのこと、資料によると、1875(明治8)年、東京府中野村(現東京都中野区)の宝仙寺に桃園小学校が開校したが、校区が広かったため、清見寺に、馬橋村、高円寺村、阿佐ヶ谷村、天沼村、田端村、成宗村の児童が通う分校が設けられた。とのこと。
山門脇には「明治8年から同17年まで、現在の杉並区立第一小学校の前身である桃園小学校第一番分校(同9年桃野学校として独立)が置かれており、杉並近代教育発祥の地の一つ」と区教育委員会による掲示あり。
実はこの先の神社へのお参りの帰り道に、地蔵尊に目が行き立ち寄ったお寺でしたが、
勿論どこもそうですが、清見寺もまた興味深い歴史のあるお寺でした。
御朱印は有無を伺っていないので不明です。
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