御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

曹洞宗久宝山龍谷山

萬昌院功運寺の御由緒・歴史
東京都 落合駅

ご本尊釈迦三尊仏
ご由緒

 萬昌院功運寺は、今川氏真の第4子長得が開基となり天正2年に仏照円鑑禅師が開山した久宝山万昌院と、永井信濃守尚政が開基となり慶長3年に黙室芳誾禅師が開山した龍谷山功運寺とが、昭和23年に合併、仏照円鑑禅師と黙室芳誾禅師とを開山とするといいます。
 
 旗本白柄組頭領・水野十郎左衛門、浮世絵師・歌川豊国、南蛮外科医の栗崎道有、、直心影流の祖・長沼国郷、長沼活然斉綱郷、「忠臣蔵」の吉良義央、「放浪記」を書いた作家の林芙美子などの墓もある。

歴史
歴史[編集] 元々は萬昌院という寺と功運寺という別々の寺であったものが、1948年に合併してできた寺である[1]。 萬昌院[編集] 萬昌院は山号を久寶山(くほうざん)といい、天正2年(1574年)の創建と伝えられる。開基は今川長得(一月長得)、開山は仏照円鑑禅師(喚英長応)[1]。 長得は戦国大名今川義元の三男であり、長得の兄今川氏真もはじめは萬昌院に葬られた。また、今川家と先祖を同じくする一族であり、江戸時代初期には極めて近い姻戚関係にあった吉良家の菩提寺にもなっている。 もともとは江戸城半蔵門近くにあったが、その後市谷田町、筑土八幡町(いずれも現在の新宿区)と幾度かの移転を繰り返し...Wikipediaで続きを読む
引用元情報萬昌院功運寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%90%AC%E6%98%8C%E9%99%A2%E5%8A%9F%E9%81%8B%E5%AF%BA&oldid=95067825

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ