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さくらじんぐう

桜神宮の御由緒・歴史
東京都 桜新町駅

ご祭神天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大御神・豊受大神・倭姫大神・国常立尊・大国主命・少彦名命・鐃速日命・底筒男命・中筒男命・表筒男命・伊久魂大神・水天宮大神・正一位稲荷大神・菅原大神
創建時代明治十五年(1882)
創始者芳村正秉
ご由緒

桜神宮は明治十五年神田今川小路に創建された天照大御神をはじめ、日本の神々をお祀りする(日本の記紀神話を中心とした神々をお祀りする)神宮です。
 大正四年、速やかに西の方角に移転するよう神託が下り、大正八年から十一年にかけて社殿を現在の世田谷区桜新町の地に移転しました。これにより、関東大震災(大正十二年)の災害、並びに太平洋戦争の戦火からも免れ、火伏せ、災難除けの宮としても崇敬を集めました。
 創建した芳村正秉は大中臣家六十五代の後裔で、明治初期に伊勢神宮筆頭禰宜、神宮支庁東京出張所(東京大神宮の前身)の所長、龍田神宮宮司を歴任し、一位局(中山慶子様)の要請により三年に亘り大正天皇の健康祈願を行い、明治政府の要人、神社界他、多くの人々から信望を集め、神道神職として人々の教化に尽力しました。
 明治十五年には明治天皇の勅許によって教派神道の一派、その名も神宮奉職中に倭姫命から神託によって授かった「神習いの教え」を立てました。このため桜神宮は古式神道の総本山としても全国の人々から崇敬を受けております。
 内務省を通して外務省の紹介により、明治時代には珍しく多くの英米人の参拝がありました。
 また同十六年には関東八州の御嶽先達の強い要望を受け、長野県知事の許可と御嶽神社祠掌(滝・武居・向井の三社家)の承諾を得て、御嶽三神の御分身を相殿に鎮祭、更に多くの人々から信奉を得ました。

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