日蓮宗
永寿院のお参りの記録一覧
東京都大田区に位置する永寿院は、日蓮宗の寺院で、山号は不変山です。この寺院は、池上本門寺の子院として知られています。
●開創の背景
永寿院は、寛永19年(1642)以前に開創されました。備中庭瀬藩主の戸川肥後守が自らの下屋敷5,000坪を寄進し、池上本門寺16世の日遠聖人がその開基となりました。日遠聖人の弟子である池上本門寺17世の日東聖人(蓮乗院)が堂宇を建立し、当初は蓮乗院と呼ばれていました。
●名称の由来
永寿院という名前は、紀州家初代徳川頼宣の娘、芳心院殿の帰依により改称されました。彼女は、日遠聖人の教えを受け入れ、寺院の発展に寄与しました。芳心院殿の没後、1708年に彼女の墓所が「万両塚」と名付けられました。
●文化的意義
本尊は三宝祖師が安置されており、日遠聖人や日東聖人の曼荼羅も所蔵されています。
大好きな森村桂さんのエッセイに書かれているが、離婚された最初の旦那様(元日本テレビスポーツ部の谷口氏)と住んでいたのが池上本門寺の近くの旧い住宅だった。
そうそう。大好きな森村桂さんが住んでいたという池上の住宅跡地に行く!と決めていたのだ。それが、ここ永寿院前にある万両塚なのらしい。
旧森村桂邸堤方権現台古墳の敷地には、昭和7年に木造住宅が建てられました。この家に最後に住んでいたのは、「天国にいちばん近い島」をはじめ多くのエッセイや小説を著した人気作家 森村桂さんでした。森村さんが転居した後、空き家となり、屋根が落ち、床が抜けた状態であったため解体。古墳の副葬品が発掘されたのは床下の土から、わずか30㎝のところでした。(延寿院ページより)
お寺の本堂にお参りというよりも、昔の遺跡を観るのが目的になってしまったか・・・すぐ隣の池上本門寺では桜がまさに見頃であったが、こちらはチューリップの花に癒される。森村桂さんもチューリップのイメージだな。
お寺全体を囲むチューリップが印象的であった。
坂の上 亡き人偲ぶ チューリップ
池上本門寺の近くにあるお寺です。大きな本堂が印象に残ります。境内の木々では、鳥たちが春の日差しを謳歌していました
永寿院の沿革は、備中庭瀬藩主の戸川安達が池上本門寺の日遠聖人に帰依し自らの下屋敷を聖人の隠棲地として寄進したことから始まりました。その後、日遠の弟子の日東聖人により堂宇が建立されました。当初は、蓮乗院と呼ばれていましたが、芳心院(紀州藩主の徳川頼宣の娘。鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け、永寿院と改称。寺紋の揚羽蝶は、この時に池田家から贈られたものとされています。境内には、芳心院の墓である万両塚(造営に一万両は費やしたであろうとの説から)があります。
山門
本堂
見守観音様
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