せんぞくはちまんじんじゃ
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千束八幡神社ではいただけません
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千束八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年01月03日(木)
都会のオアシス、洗足池にある神社です。
八幡神社は源氏の氏神様ですが、東京には源氏ゆかりの八幡神社が沢山あります。平安時代から鎌倉時代にかけての源氏の関東の勢力の大きさを感じます。
千束八幡神社は、平将門の乱の平定にきた藤原忠方が、乱の平定後にこちらに館を構え、八幡神社を建てたことに始まります。936年の頃ですから、千年以上昔からある神社なんですね!
また八幡太郎義家も奥州征伐の時にこちらで戦勝祈願をしています。
そして源頼朝が石橋山の合戦で敗れて安房に逃れ、再度鎌倉に登ろうとした時もこちらで戦勝祈願をしています。
その時、現われたのが「池月」と呼ばれる名馬。後に佐々木高綱に与えられ、梶原景季の名馬・麿墨との「宇治川の先陣争い」で活躍しました。(吾妻鏡には「生食・いけづき」と書いてあり、ちょっとびっくり)
この辺りは起伏が激しいからか、名馬の産地だったそうです。馬込という地名もそこから来ているとか。
また近辺には池上氏という豪族がおり、池上氏が建てたお寺が池上本門寺になりました。鎌倉時代に日蓮上人を招いたことから、池上本門寺が日蓮宗の総本山になったそうです。
洗足池は日蓮上人がお御足を洗ったことから洗足池という名前になりました。今も日蓮上人が袈裟をかけた松の木が残っています。
明治になると、池上本門寺で西郷隆盛と江戸城無血開城の談判をした勝海舟が、風光明媚なこの地が気に入り、ほとりに居を構えました。
昭和5年頃には、池上本門寺の参拝者の足として、東急池上線が通りました。
八幡神社は源氏の氏神様ですが、東京には源氏ゆかりの八幡神社が沢山あります。平安時代から鎌倉時代にかけての源氏の関東の勢力の大きさを感じます。
千束八幡神社は、平将門の乱の平定にきた藤原忠方が、乱の平定後にこちらに館を構え、八幡神社を建てたことに始まります。936年の頃ですから、千年以上昔からある神社なんですね!
また八幡太郎義家も奥州征伐の時にこちらで戦勝祈願をしています。
そして源頼朝が石橋山の合戦で敗れて安房に逃れ、再度鎌倉に登ろうとした時もこちらで戦勝祈願をしています。
その時、現われたのが「池月」と呼ばれる名馬。後に佐々木高綱に与えられ、梶原景季の名馬・麿墨との「宇治川の先陣争い」で活躍しました。(吾妻鏡には「生食・いけづき」と書いてあり、ちょっとびっくり)
この辺りは起伏が激しいからか、名馬の産地だったそうです。馬込という地名もそこから来ているとか。
また近辺には池上氏という豪族がおり、池上氏が建てたお寺が池上本門寺になりました。鎌倉時代に日蓮上人を招いたことから、池上本門寺が日蓮宗の総本山になったそうです。
洗足池は日蓮上人がお御足を洗ったことから洗足池という名前になりました。今も日蓮上人が袈裟をかけた松の木が残っています。
明治になると、池上本門寺で西郷隆盛と江戸城無血開城の談判をした勝海舟が、風光明媚なこの地が気に入り、ほとりに居を構えました。
昭和5年頃には、池上本門寺の参拝者の足として、東急池上線が通りました。
すてき
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