へびくぼじんじゃ
蛇窪神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
キャラクター作って商店街推し?の蛇窪神社です🐍
可愛らしい神社で、努力してるなぁと、とても好感の持てる神社です
飾り付けも素敵でした✨
季節の御朱印 紫陽花♪
くぼっち🐍かわいい
このお金はわたしの神棚(宝くじ用の)に祀りました♪
めっちゃ蛇🐍
映え狙い?時代に合った努力は素晴らしい✨
蛇かわいい🩷
ご利益ありそうな御朱印帳
✨蛇窪大明神の御朱印✨昨日は巳の日だった為、ぷらぷら散歩に行ったら、かなりの人だかり😲
さすが東京の白蛇さま🙇
アルビノのしーちゃん出てました😆⤴️💓✨
めったにお目見えしない上に動かないので、昨日はラッキーだった❕❕
御朱印もやっぱりいただいちゃった❣️
6日はガラス玉だけだった御手水が、いつもの花手水になってました~可愛い😃💕💕結局1時間あそんで帰りました☺️
蛇窪大明神の御朱印✨
鳥居✨
ボンボリが華やか✨
花手水✨
茅の輪✨
白蛇辨財天✨
法密稲荷社✨
御神木✨
しーちゃん♥️✨
花手水✨
移動してきました🚲~✨夏越大祓いの御朱印✨と✨御鎮座700年の御朱印✨
思うより人が少なかったので、666は関係無いのかな❔
と不思議に思ってたら、明日が浄書日だった❕❕
今回は本殿周りに、あじさいがいっぱい飾られてるので、花手水ではなくガラス玉いっぱいの涼しげな御手水ですよ❣️(*´ω`*)
茅の輪くぐれます🎵🎵
茅の輪✨
夏越し大祓いの御朱印✨
御鎮座700年の御朱印✨
本殿✨
御手水✨
あじさい✨
せいぞろい🐍💕💕✨
己巳の日は蛇窪神社の縁日の日なのでお参りしてきました。
旧蛇窪村の豊川稲荷東京別院の御分社と大原不動尊の御朱印をいただけます。
2体揃うとほのぼの広場で金銀融通の割印をいただけます。
GWと縁日(己巳の日)が重なりすごい人でお参り本殿にお参りするのに1時間半かかりました
本殿前には鯉のぼりの気持ち良さそうに泳いでいます。
御神楽も奉納されており、白蛇さんとお狐さんです。
御神楽も奉納されており、白蛇さんとお狐さんです。
己巳の日なので白蛇さんはお目にするのはそらそうかなと思うけど、白狐さんとも何度も出会うとは思わなかった。
縁日(己巳の日)は、旧蛇窪村の豊川稲荷東京別院の御分社と大原不動尊の御朱印をいただけます。
2体揃うとほのぼの広場で金銀融通の割印をいただけます。
御朱印をいただいた際の挟み紙
2024/5/5 参拝記録です。
端午の節句 書き置き御朱印です。
蛇窪大明神 書き置き御朱印です。
己己の日 書き置き御朱印です。
己己の日 切り絵御朱印です。
東急花御朱印2〜品川区にある蛇窪神社に参拝。本日、干支が巳の日だからか、境内は多くの人で賑わっていた。
銭回し銭洗いや運玉投げなどもあり楽しめるようになっている
御朱印は鎮座700年記念特別御朱印と東急花御朱印を書置きでいただきました。
蛇窪神社〜一の鳥居と社号標(天祖神社)
蛇窪神社〜提灯・蛇窪の文字
蛇窪神社〜提灯・神紋・爾龍と七つ蛇の目
蛇窪神社〜扁額
蛇窪神社〜花手水
蛇窪神社〜鎮座700年記念御朱印
蛇窪神社〜東急花御朱印
蛇窪神社〜社殿
蛇窪神社〜撫で白蛇
蛇窪神社〜境内社・白蛇辨財天社
蛇窪神社〜参拝記念の辰
品川お詣り散歩③ー蛇窪神社🐍
静かな荏原神社からやってくると、ちょうど巳の日だったようでかなりの賑わいの蛇窪神社。お詣りも社務所も行列ができていました。
わいわいと賑やかな雰囲気に乗り切れない自分がいましたが😅
それなりにお詣りを楽しんできました♪
1322年の大干ばつの時、北条重時の五男、時千代の家臣が龍神社に雨乞いの祈願をすると慈雨が降ったので、当地に勧請し、祀ったのが始まり。
主祭神は天照大神。
御朱印帳をお預けして、番号が呼ばれます
商店街のこの灯り、可愛い
お花のきれいな手水
並んでお詣り
こちらの鳥居をくぐるとさながらテーマパークのような賑わい
まずこちらの撫で白蛇さまを撫でて
蛇窪龍神社へ🐉
この地で1000年以上の歴史があると伝わる蛇窪の守護神
白蛇弁財天社
昔社殿の左横に清水が湧き出る洗い場があり、白蛇が住んでいました
いつの間にか洗い場がなくなり、白蛇は仕方なく近くの公園の池に移り住みましたが
ある日土地の有力者の夢に現れ、1日も早く元の住み処に戻してほしい、と懇願
その話を聞いた宮司が池を掘り、弁財天社を建立したそうです
白蛇は白龍になって滝を登ると言われているそう
可愛い白蛇のみーくん
3色の花が咲く源平枝垂れ桃
あちこちに可愛い白蛇が
銭回しは行列なので諦めました
社殿横の愚痴壺、福活岩、親子岩
願掛け水掛け宝珠
法密稲荷社 700年前の雨乞い断食祈願が成就した証の111本の提灯
近隣の人たちに長く親しまれている様子の蛇窪神社でした
天気もよく人で賑わっていました。御朱印を頂くのにかなり皆さん、並んでおられました。
奥に、白蛇を祀った社や弁財天があるとわからずに、もう少しで参拝しないで帰ってしまうところでした。
良かったーーー。
商店街では、「くぼっち」なるキャラクターの旗があちこちにありました。
鎌倉時代に蛇窪に生息していた蛇の主。自称公家。ブサイクで気位が高く、お祓いの棒「カシコメ」を持っている。ふてくされているように見えるが、お願いすれば頭を「カシコメ」でお祓いしてもらえます。地元のイベントに呼ばれれば喜んで出現致します。(公式ページより)
街に溶け込みながらも伝統ある神社でした。
くぼっち
白蛇様に会える日になかなか休みが合わず💦
諦めてお参りに行って来ました🙏🏻
【蛇窪神社】
文永8年(鎌倉時代•1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。
文永8年の秋から50年ほどを経た元亨2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩に応えて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)
なお 一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。
当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。
令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。
ー蛇窪神社HPよりー
☆社号標•御大典記念の碑☆
紀元2600年(昭和15年)奉祝と、当社が村社に昇格したのを記念して建てられたものです。
明治45年(西暦1912)年7月30日。大正天皇が即位(天皇の位につく)されたのを記念して建てられた碑です。裏の碑文は明治24年品川用水(かんがい)水利権に関し訴訟問題が起こり用水利用者金子仲次郎氏外20名が荏原郡長に訴願したが認められず、更に明治28年東京府知事に上告し認められる迄の過程を記録したものです。
誠なる心を以ちてむかへなば
光輝く後の世までも
☆新檜の大鳥居⛩️☆
蛇窪神社鎮座七百年記念事業の一環として、地域発展のシンボルとなる大鳥居が、令和元年12月26日、氏子崇敬者の御浄財により建立されました。
☆狛犬様☆
☆社務所☆
☆手水舎☆
☆御拝殿☆
【御祭神】
天照大御神
【御配神】
天児屋根命•応神天皇
当神社の旧社名は、神明社です。天照大御神•天児屋根命(あめのこやねのみこと)•応神天皇の御三柱をお祀りする以前は、蛇窪龍神社でした。創建の史実にある雨乞い祈願を白蛇が住んでいた(現在の消防団詰所)龍神社で行う際に、お稲荷さんもお祀り致しました。この祈願を基に構成されて建立された神社であり、御本殿に祀られる御三柱の他、法密稲荷社、白蛇辨財天社、蛇窪龍神社に祀られる全ての神さまを総称して、“蛇窪大明神”と奉称致します。
通年御朱印 『蛇窪大明神』『蛇窪神社』
御鎮座七百年記念浄書(墨書) 御朱印
☆なで白蛇☆
☆蛇窪龍神社の鳥居⛩️☆
令和3年4月1日、御鎮座七百年を記念し、元宮として「蛇窪龍神社」を建立いたしました。
蛇窪龍神社は、蛇窪神社創建前の神社で、千年以上の歴史があると伝えられ、蛇窪の守護神と称えられております。七夕は、蛇窪龍神社の水まつりの日です。鎌倉時代に龍神様が、旱魃で苦しむこの地に雨を降らせ、大飢饉を救ったことで、龍神様と水恩に感謝する日としています。
7匹の白蛇や全長8mの白龍は、昭和50年2月5日、真鍋勝氏の手作りにより奉納されたもので、神様の使いである白蛇が八匹目で白龍になるという言い伝えを表しています。
【御祭神】
蛇窪龍神
☆白蛇弁財天の鳥居⛩️☆
☆白蛇清水•銭洗いの所☆
【御祭神】
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)
【石窟】白蛇大神
通年御朱印 『白蛇辨財天』
【夢巳橋•白龍の滝•龍神の玉】
鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団詰所付近)に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。
時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになりました。
あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。
森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとに戻すよう願い出ました。宮司は辨財天社【琵琶を奏でる姿から音楽や芸能の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、安芸の宮島厳島神社の御分霊である辨財天を祀る】を建立することに決め、現在の駐車場に池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祠ることにしました。古老の話によれば白蛇を迎える日の夜、いよいよお迎えの祝詞を奉上しようとしたとき、それまでの輝くばかりの星空が一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに大風が立ち起こり、そのさまは身のすくむ思いだったということです。
戦後昭和29年に櫻井昌利氏(鳶頭)をはじめ有志の方々の御浄財により、お社は現在地に移され、上屋や辨天池なども造営されました。
令和3年4月1日、御鎮座七百年を記念し、氏子崇敬者の御浄財によって、石窟•社殿•辨天池•白龍の滝が立て替えられ、銭洗を新たに造りました。
☆蛇松☆
☆法密稲荷社の鳥居⛩️☆
☆お狐様🦊☆
☆満願岩☆
【土搗石】
この土搗石は、江戸時代より武蔵国荏原郡上蛇窪村に伝わる石です。住居•納屋などの普請がある度に村人が交替で手伝い歌を歌いながら敷地を固めた石 で(別名オカメサン)大正7年頃まで使用したものです。 平澤忠義氏より譲り受け社宝として後世に伝える ものです。
☆お狐様🦊☆
☆おもかる狐石☆
石を持ち上げて軽いと感じれば、願いが早くかない、重いと感じれば一層努力が必要。
☆法密稲荷社☆
元亨2年(1322年)に武蔵の国が深刻な大飢饉が訪れた際、厳正寺第二世法密上人は、雨乞いの断食祈願をしました。そして豊作を祈るため、京都伏見稲荷大社の御分霊をお祀りされたと伝わります。江戸後期の新編武蔵風土記稿に末社稲荷社の名が記されております
昭和47年に、神殿•上屋•燈籠などを、櫻井昌利氏をはじめ氏子篤志家の寄進により建て替えられました。
御鎮座七百年を記念し、雨乞いが行われてから七百年目の令和4年11月1日、氏子崇敬者の御浄財によって、建て替えられました。そして稲荷社の由緒を後世に伝えるため、「法密稲荷社」に改名いたすことになりました。
【御祭神】
稲荷大神
☆扁額☆
☆水掛宝珠☆
☆お狐様🦊☆
蛇窪神社リーフレット
スタンプが置いてあったので押してきました😊
左は挟み紙
蛇窪神社マップ
開運八社めぐりのリーフレット
あげてなかった😮
己巳の日だったけど、お参りだけ🙏
人も多かったし、花もキレイだった~(о´∀`о)🎵🎵
本殿✨
花手水✨
こちらの小さめサイズは初めて気付きました👀✨
木の向こう側が本殿✨
鳥居✨
蛇窪神社⛩️へお参りしました(。・人・`。)
雨の中☔でしたが、たくさんの方がお参りに来ておりました
境内さまざまなお参りスポットがありましたが、雨と混雑で駆け足参拝になってしまいました💦
紀元祭の書置き御朱印拝受しました♪
祈年祭の御朱印書入れていただきました♪
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