だいにちじ|真言宗大覚寺派|大栗山(おおぐりざん)
大日寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
13番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
13番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
13番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
13番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
13番 大日寺。
憧れの四国八十八霊場巡り 3回目に出かけました。
兵庫から徳島の日帰りは淡路を通り抜けるためなかなかきついものですね。
四国八十八カ所霊場巡り 13番札所のお寺です。
近くの駐車場に車を停めることができ 少しだけ歩いての参拝になりました。
山門の石柱に金の文字 豪華な雰囲気が漂っています。
境内に入ると しあわせ観音がお出迎え。
山門入ってすぐ右手には大師堂。
左手奥にある本堂は彫刻も美しく 歴史を感じる佇まい。
内陣のご本尊は秘仏かなと思いきや お姿も美しい。
コンパクトな境内に参拝者が多く参っており 少々混雑していました。
御朱印を拝受する際に教わりました。
ご住職が八十八霊場唯一の外国籍の方だとか。
日本の文化が世界に広まっていく期待も込めて 世界遺産認定を願いたいものです。
山号は大栗山
院号は花藏院
宗旨宗派は真言宗大覚寺派
ご本尊は十一面観音菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼(たの)めやこの世のちの世
でした。
由緒については
寺伝によれば 、弘仁6年(815年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。
そこでその大日如来の姿を刻み 堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。
元は國中寺の場所にあり 船盡社(船盡神社・船盡比賣神社)の別当寺であった。
その後 伝承では平安時代末期に 阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され 阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となった。
一宮神社の別当だった神宮寺が廃絶したため 現在の所に移り一宮神社の別当寺になったとされる。
南北朝時代に 一宮神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが 江戸時代初期 徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し 当神社と当寺を再建した。
また いつの頃か 当神社が札所になると当寺は納経所として 「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり 一宮寺とも呼ばれるようになっていた。
明治初期の神仏分離によって 当神社の本地仏であった行基作といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ 当寺は神社の別当ではなくなった。
とありました。
山門(薬医門)
手水舎
しあわせ観音
本堂
本堂内陣
地蔵堂
大師堂
【大栗山(おおぐりざん)一の宮寺・華蔵院(いちのみやじ・けぞういん)大日寺(だいにちじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開基:弘法大師
815(弘仁6)年、弘法大師(774-835)がこの地に巡錫(じゅんしゃく)し、護摩修法しているとき大日如来から霊地に一宇を建立すべしとのお告げがあり、大日如来像を刻み堂宇を建立、本尊として安置したと伝えられている。長宗我部元親による天正の兵火で焼失した後、江戸時代に再建。阿波国の総鎮守である一の宮神社が建立された際には、別当寺(神社に付属して置かれる寺)となり、同じ境内にあった。その後、明治の神仏分離令により大日寺は独立したが、本尊は一の宮神社の十一面観音像がそのまま移され、大日如来像は脇仏となっている。
【13_T.Hamada's view】
【13_しあわせ観音】
合掌する手のフォルムがユニークなお堂があり、お堂の中にはデザイン作品のようなカラフルな観音像が安置されている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【13_しあわせ観音】
【13_本堂】
【13_大師堂】
【13_山門】
【13_龍の手水舎】
【13_倶利伽羅龍王(くりからりゅうおう)】
不動明王の化身とされる龍王。四国霊場 第3番札所 金泉寺にもある。
*ブログの報告より部分抜粋
泊まりは、大日寺のすぐ隣にある遍路宿『名西旅館・花』にしました。予約電話が遅かったために残念ながら宿の夕食は無理だったので、この日はファミレスの『ガスト』になりました。遍路宿にてあまり多くは望みませんけれど、部屋は畳の痛みが酷く靴下を履いていると多数のイ草のカスが突き刺さりました(苦笑)。また、布団の黄ばみもかなり目立ち、それから男風呂は離れになっていてすでに湯船には蓋がされており、また残念なことに蛇口のお湯までも止められていました...。朝食も醤油を必要とするおかずが殆どで、高齢の母にはまったく不向きのものでした。ですが、宿のご主人はとても気さくな感じの良い方で、車遍路のコースについて親切丁寧にアドバイスをしてくれました。ご主人によれば、この宿にはあのショーケン(俳優:故・萩原 健一さん)が二度も利用されたとのことでした。
22日(月)は朝一、旅館・花に車を駐車したままで13番札所『大日寺』を参拝。この寺院は大師の護摩修法に出現した大日如来が本尊でしたが、明治の神仏分離を受けて13番札所から外れた一宮神社の本持仏だった十一面観音が大日寺の新しい本尊として迎えられ、その結果として、観音が本尊で大日如来が脇侍となったというとても変わった寺院なのです。この日は朝からシトシトと雨が降り続いていて、次の17番札所『井戸寺』からは雨脚も強くなってきました。
ブログ---宝珠diary
『Occultist による仏教論考 etc.』
https://houju-isis.fc2.net/blog-entry-12.html
四国霊場八十八ヶ所 十三番 大日寺
大栗山 大日寺 花蔵院
おおぐりざん だいにちじ けぞういん
御真言
『おん、まか、きゃろりきゃ、そわか』
御詠歌
『阿波の国、一の宮とはゆうだすき かけてたのめや、この世後の世』
神山町の焼山寺から徳島市内に戻ります
この大日寺はこれまでとはちょっと違った佇まいです。道路脇にすぐお寺があり、道を挟んですぐ神社⛩
こじんまりしたお寺でした😊
車道の反対側に渡って撮影
二つ目の大日寺です
確かもう一つ大日寺があったような
いつもの軒撮影😅
柄杓の奉納って持ち運び大変そうだなぁ😁
ほんわかぁ☺️
本堂に御光が
門の正面にありました
本堂の真向かいにある大師堂
先程の像はここで気づいたけど合掌の中にありました🙏
納経
今更ですが御影は今年だけこの右側のを追加で頂けるそうです👍
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