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大日寺ではいただけません
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だいにちじ

大日寺のお参りの記録(1回目)
徳島県石井駅

投稿日:2023年11月12日(日)
参拝:2023年11月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 3回目に出かけました。
兵庫から徳島の日帰りは淡路を通り抜けるためなかなかきついものですね。
四国八十八カ所霊場巡り 13番札所のお寺です。
近くの駐車場に車を停めることができ 少しだけ歩いての参拝になりました。
山門の石柱に金の文字 豪華な雰囲気が漂っています。
境内に入ると しあわせ観音がお出迎え。
山門入ってすぐ右手には大師堂。
左手奥にある本堂は彫刻も美しく 歴史を感じる佇まい。
内陣のご本尊は秘仏かなと思いきや お姿も美しい。
コンパクトな境内に参拝者が多く参っており 少々混雑していました。
御朱印を拝受する際に教わりました。
ご住職が八十八霊場唯一の外国籍の方だとか。
日本の文化が世界に広まっていく期待も込めて 世界遺産認定を願いたいものです。
山号は大栗山
院号は花藏院
宗旨宗派は真言宗大覚寺派
ご本尊は十一面観音菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼(たの)めやこの世のちの世
でした。

由緒については
寺伝によれば 、弘仁6年(815年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。
そこでその大日如来の姿を刻み 堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。
元は國中寺の場所にあり 船盡社(船盡神社・船盡比賣神社)の別当寺であった。
その後 伝承では平安時代末期に 阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され 阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となった。
一宮神社の別当だった神宮寺が廃絶したため 現在の所に移り一宮神社の別当寺になったとされる。
南北朝時代に 一宮神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが 江戸時代初期 徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し 当神社と当寺を再建した。
また いつの頃か 当神社が札所になると当寺は納経所として 「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり 一宮寺とも呼ばれるようになっていた。
明治初期の神仏分離によって 当神社の本地仏であった行基作といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ 当寺は神社の別当ではなくなった。
とありました。
大日寺(徳島県)
山門(薬医門)
大日寺(徳島県)
手水舎
大日寺の仏像
しあわせ観音
大日寺(徳島県)
本堂
大日寺(徳島県)
本堂内陣
大日寺(徳島県)
大日寺(徳島県)
地蔵堂
大日寺(徳島県)
大日寺(徳島県)
大師堂

すてき

御朱印

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