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いざなみじんじゃ

伊射奈美神社の御由緒・歴史
徳島県 阿波半田駅

ご祭神《主祭神》
 伊弉冉神
 速玉男神
 事解男神
《合祀神》
 天照大神
 素盞嗚尊
 大山祇神
 猿田彦大神
ご神体伊弉冉尊の神陵
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

神社の創祀は不詳。神話時代の創建とされる淡路、伊佐奈伎神社と同時期と考えられ、伊邪奈美尊は国土産みを終え、神陵の地、阿波国美馬郡中鳥、伊射奈美神社を建てられ、阿波の神々の中で最も格式の高いのは貞観十一年(869)阿波伊射奈美神社従五位の神階を賜う。伊邪奈美尊を単独神として祀る全国唯一の神社として、『延喜式』神名帳に登載されている最も格式の高い古社。
阿波国の美馬郡は古くから田畑の豊饒を祈願、古代の水の神として穀霊、穀神信仰、母神崇拝の稲作にゆかりの霊格の中心地。渡来人の法道仙人が伊宇摩山仏母寺を中鳥に建立開祖。奈良時代、神社に付属の寺を聖武天皇勅命により忌部神宮寺と寺号を改め、文治三年(1187)神社再建した社殿戸扉に、神代自古御鎮座、伊射奈美神社と記す。本殿箱棟に神紋門十六菊御紋あり。古昔最も盛大なる神詞にして美馬、三好の総鎮守として伝える。
戦国動乱の時代、天文年間(1532)三好長慶の祈願所として綾地の御先幟を献納。元和三年(1617)蜂須賀候祈願の為黒昔幟、甲冑二領奉納、家老稲田稙元祈願の為長刀を奉納。室町時代の後期、中島城主に元亀元年(1570)浅野但馬守、安土桃山時代天正年間(1573)久米刑馬拠る。後に前田京本入道が城主。神社再興の正徳三年(1713)享保十六年(1731)棟札保存。
戦国から江戸時代、天文(1532)から明暦(1655)年間に中鳥村三百有余の人家があったとされ、享保十一年(1726)大洪水で吉野川南岸から切り離され川中島となる。
明治五年九月官制による神社分類で伊射奈美神社は村社に任ぜられ、明治八年神社神社建替え戸扉に神代自古御鎮座、式内村社伊射奈美神社とあり社殿に保存。昭和九年六月一日中島は半田町から分離、重清村へ合併。昭和六十一年(1986)建設省が吉野川洪水時の浸水被害を防ぐため、西村中鳥堤防工事で用地買収、六十三年に二十八戸移転、神社は平成四年十月七日現在地に拝殿、神殿を新築落成し御鎮座[神社由緒書きより]

歴史
歴史[編集] 創建は不詳。式内社阿波國美馬郡伊射奈美神社の論社の一つ。同じ社名で所在地の違う同市穴吹町三島の伊射奈美神社も論社である[1]。 ^ 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
引用元情報伊射奈美神社 (美馬町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E5%B0%84%E5%A5%88%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E7%94%BA%29&oldid=82933807

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