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山崎忌部神社ではいただけません
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山崎忌部神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年01月31日(金)
参拝:2014年4月吉日
延喜式内名神大社(阿波國麻殖郡/忌部神社、名神大、月次新嘗、)、旧国幣中社です。
式内社忌部神社の比定については昔から論争があり、当社以外に、現在徳島県つるぎ町貞光に鎮座する「御所神社」であるとする説もあり、地区間の論争が激しくなったため、明治14年に太政官は、山崎忌部でもなく貞光御所でもなく、現在の徳島市二軒屋町に新たに忌部神社を創祀遷座して、その忌部神社を式内社の後継としたとのことです。
令和の大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を調進した三木家は、山崎忌部神社を式内社忌部神社として比定されているようです。
古来より、天皇即位後の大嘗祭において大嘗宮の由貴殿・主基殿に供えられる麻の織物である麁服は、阿波國の忌部氏が御殿人(みあらかんど)として調進してきています。
現在、徳島県美馬市小屋平に阿波忌部直系の三木家が現存し、その三木家が、途絶えていた麁服の調進を大正時の大嘗祭に復活させ、その後昭和・平成・令和と続けてこられました。
今回の令和では、木屋平の三木家の前に栽培畑を造り、平成31年4月に大麻の種まき、令和元年7月に大麻の収穫、その後糸を紡ぎ、9月2日に山崎忌部神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進推進協議会」に託され、9月から織りはじめ10月に反物として仕上げられ、10月26日に三木家へ運ばれ、10月27日に三木家において神事が行われ、再び忌部神社に向かい、その数日後皇居に向かったようです。
私が参拝したのは平成26年でしたので、平成の大礼時の石碑が建てられていました。
また、平成29年には三木家住宅に御邪魔しました。
往古の伝統が現在に引き継がれており素晴らしいです!!
感謝です!!拝。
式内社忌部神社の比定については昔から論争があり、当社以外に、現在徳島県つるぎ町貞光に鎮座する「御所神社」であるとする説もあり、地区間の論争が激しくなったため、明治14年に太政官は、山崎忌部でもなく貞光御所でもなく、現在の徳島市二軒屋町に新たに忌部神社を創祀遷座して、その忌部神社を式内社の後継としたとのことです。
令和の大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を調進した三木家は、山崎忌部神社を式内社忌部神社として比定されているようです。
古来より、天皇即位後の大嘗祭において大嘗宮の由貴殿・主基殿に供えられる麻の織物である麁服は、阿波國の忌部氏が御殿人(みあらかんど)として調進してきています。
現在、徳島県美馬市小屋平に阿波忌部直系の三木家が現存し、その三木家が、途絶えていた麁服の調進を大正時の大嘗祭に復活させ、その後昭和・平成・令和と続けてこられました。
今回の令和では、木屋平の三木家の前に栽培畑を造り、平成31年4月に大麻の種まき、令和元年7月に大麻の収穫、その後糸を紡ぎ、9月2日に山崎忌部神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進推進協議会」に託され、9月から織りはじめ10月に反物として仕上げられ、10月26日に三木家へ運ばれ、10月27日に三木家において神事が行われ、再び忌部神社に向かい、その数日後皇居に向かったようです。
私が参拝したのは平成26年でしたので、平成の大礼時の石碑が建てられていました。
また、平成29年には三木家住宅に御邪魔しました。
往古の伝統が現在に引き継がれており素晴らしいです!!
感謝です!!拝。
平成29年5月に参りました。三木家住宅(国指定重要文化財)です。現在も阿波忌部直系の三木信夫様が住んでいらっしゃいます。国の重要文化財に住まわれているため、その保全などいろいろとご苦労されていらっしゃるかと思います。感謝です!!拝。
すてき
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裕遊抄uusho1355投稿
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