おんざんじ
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恩山寺ではいただけません
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恩山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月18日(土)
参拝:2023年11月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
18番札所のお寺です。
小松島市国道55号線を西に折れ 1kmほど先 山道を登った所にあります。
山道の途中 急に山門が現れます。
天然記念物に指定されているという 恩山寺のビランジュが赤い肌を見せて大きく茂っています。
ビランジュ 初めて知りました。
車でもう少し進むと 恩山寺の駐車場に着きます。
車で参拝できるは本当にうれしいです。
駐車場近くには 巨大な修行大師像が立っています。
階段を少し上ると境内です。
この階段 崩れるというかでこぼこというか 歩きにくいのですが これが山寺の味ですよね。
目の前に現れるのが 派手さはないのですが 200年ほどの歴史をもつ本堂です。
ご本尊は秘仏で 厨子の中におられます。
本堂左手には大師堂があります。
よりそうように御母公堂もあります。
母君と隣り合っているのはすてきです。
階段を上がってすぐ右手には地蔵堂があります。
風雨にさらされ痛みが進み 少々崩れかかっているのが好きです。
納経所はその先にあります。
こちらの恩山寺では 全国でここでしか手に入らない「摺袈裟(すりげさ)」という激レアなお守りを頒布しています。
摺袈裟は 閻魔大王が『死者が眠る墓に摺袈裟をかけ 一週間供養すれば死者がよみがえる』と説いたことに由来しているもので 生きている間もあの世へ行くときにも御利益がある一生ものの最強のお守りだそうです。
山号は母養山
院号は宝樹院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:子を生める その父母(ちちはは)の恩山寺 訪(とぶ)らいがたきことはあらじな
でした。
由緒については
創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により 行基菩薩が草創して 当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。
本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し 災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。
十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には 女性が入ることは許されていなかったのである。
延暦年間(782〜806)になって 弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。
大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。
だが 寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて7日間の秘法を修し 女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。
やがて母君は剃髪をして その髪を奉納されたので 大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め 自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。
弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが 江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し 現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物である。
境内には玉依御前を祀る小堂があり 母君に孝養をつくして 大師が植樹した「びらんじゅ」は 県の天然記念物にもなっている。
母君を慕いつくした大師のこころが いまも宿っているような寺である。
とありました。
18番札所のお寺です。
小松島市国道55号線を西に折れ 1kmほど先 山道を登った所にあります。
山道の途中 急に山門が現れます。
天然記念物に指定されているという 恩山寺のビランジュが赤い肌を見せて大きく茂っています。
ビランジュ 初めて知りました。
車でもう少し進むと 恩山寺の駐車場に着きます。
車で参拝できるは本当にうれしいです。
駐車場近くには 巨大な修行大師像が立っています。
階段を少し上ると境内です。
この階段 崩れるというかでこぼこというか 歩きにくいのですが これが山寺の味ですよね。
目の前に現れるのが 派手さはないのですが 200年ほどの歴史をもつ本堂です。
ご本尊は秘仏で 厨子の中におられます。
本堂左手には大師堂があります。
よりそうように御母公堂もあります。
母君と隣り合っているのはすてきです。
階段を上がってすぐ右手には地蔵堂があります。
風雨にさらされ痛みが進み 少々崩れかかっているのが好きです。
納経所はその先にあります。
こちらの恩山寺では 全国でここでしか手に入らない「摺袈裟(すりげさ)」という激レアなお守りを頒布しています。
摺袈裟は 閻魔大王が『死者が眠る墓に摺袈裟をかけ 一週間供養すれば死者がよみがえる』と説いたことに由来しているもので 生きている間もあの世へ行くときにも御利益がある一生ものの最強のお守りだそうです。
山号は母養山
院号は宝樹院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:子を生める その父母(ちちはは)の恩山寺 訪(とぶ)らいがたきことはあらじな
でした。
由緒については
創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により 行基菩薩が草創して 当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。
本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し 災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。
十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には 女性が入ることは許されていなかったのである。
延暦年間(782〜806)になって 弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。
大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。
だが 寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて7日間の秘法を修し 女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。
やがて母君は剃髪をして その髪を奉納されたので 大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め 自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。
弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが 江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し 現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物である。
境内には玉依御前を祀る小堂があり 母君に孝養をつくして 大師が植樹した「びらんじゅ」は 県の天然記念物にもなっている。
母君を慕いつくした大師のこころが いまも宿っているような寺である。
とありました。
山門
寺へ続く 四国のみち
恩山寺石柱 伽藍まではまだまだ遠い
天然記念物 ビランジュの説明
ビランジュの木
ようやく建物が見えてきた
修行大師像
石柱
石柱
この階段 崩れそうなのが味なんですね
手水舎
階段の先に本堂が
水子地蔵
鐘楼
本堂
本堂内陣
こちらにも修行大師像
大師堂
大師堂
御母公堂
地蔵堂
地蔵菩薩
釈迦の十大弟子
納経所
すてき
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くるくるきよせん2023投稿
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