じゅうりんじ(だんぎしょ)|高野山真言宗|説法山
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楽しみ方十輪寺(談議所)のお参りの記録一覧

くるくるきよせんさんに教えていただいた四国八十八か所霊場の前1番と呼ばれている十輪寺を参拝しました。幹線道路(県道12号)から1本中に入った通り沿いに位置しており、今はあまり目立たない場所ですが、この通りは撫養街道と呼ばれる吉野川流域を東西に結ぶ四国東部の重要な道で昔はメインストリートだったところですね。なので、巡礼者は必ずこの前を通ることになり参拝されたのでしょうね。前1番と呼ばれるのも納得です。







四国八十八か所巡りは 当然のことながら1番札所から88番札所を巡るのですが 1番札所の前に 前1番という札所があります。
それがこちらの十輪寺です。
徳島県鳴門市にあるお寺です。
アコメンという変わった地名にあるお寺です。
とても広い農地に隣り合う住宅街の外れにありました。
山門はなく 境内に駐車スペースがありましたので車を停めさせていただきました。
奥には 新しい本殿がありました。
こちらに書置きの御朱印がありました。
本堂の前には大きなソテツの木があり 木を囲むように十三仏がお祀りされていました。
また境内には地蔵堂があります。
実はこちらにご本尊の地蔵菩薩が安置されています。
残念ながら拝顔はできませんでした。
また 開運招福弁財天も祀られていました。
ネット情報です。
山号は説法山 宗旨は高野山真言宗 ご本尊は地蔵菩薩 創建年は(伝)白雉2年(651年) 開基は(伝)智光律師 別称は談義所 札所等は四国八十八箇所一番前札所です。
かつては近畿方面より四国八十八箇所の巡礼を行う場合 船で鳴門の撫養港に到着していた。
ここから上陸し巡礼に向かった。
十輪寺は第一番札所の霊山寺に向かう途中に位置するため 巡礼者の多くはここに立ち寄った。
そこで第一番前札所と呼ばれるようになった。
寺伝によれば 十輪寺は飛鳥時代の白雉2年(651年)讃岐国三木郡出身の僧侶・智光律師によって建立されたとされる。
智光は全国行脚の後 阿波国海部郡に草庵を結んでいた。
智光はここで男児が「阿波北部の説法山に寺院を建て そこで修行するように」と告げる夢を見た。
智光はその地に向かい修行を行うと 地中より「地蔵菩薩」と書かれた木板を掘り当てた。
そこで智光は地蔵菩薩を彫りこれを本尊として十輪寺を建立した。
智光が白雉3年(652年)に没すると地蔵菩薩も消えたという。
平安時代初期の大同(806年 - 810年)に空海(弘法大師)が智光律師の伝説を聞き及び 地蔵菩薩を彫って再びこの地に安置したと言われる。
その際に 僧侶を集めて説法を行い四国霊場の談義をしたとされる。
そこで十輪寺は「談義所」と呼ばれるようになった。
その後 嵯峨天皇の命により備後国の僧・智明が伽藍を整備したと伝えられている。
現在の境内は 昭和61年(1986年)に整備されたもので この時 本堂 地蔵堂が改築された。

山門はありませんでした 境内の様子

由緒書

本堂


地蔵堂


扁額 ちらっと内陣

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