えのみやじんじゃ
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楽しみ方宅宮神社のお参りの記録一覧

お参りしました🙏
悪災が生じると黒い穴が現れ災いを吸い込み消滅させるという言い伝えのある清めの岩🪨
コロナ禍を予兆してか令和元年10月に突然真っ二つに割れだそうです
どうかもう割れることがありませんように🙏









徳島市にある神社です。
眉山の裏手の上八万町にあります。
10kmも離れずに 八十八霊場寺院がいくつかあります。
住宅街というよりは田園地帯という感じで 周りには田畑がいっぱいです。
境内には境内社もありますが 清めの岩や力の泉 夫婦杉の樹根など 建物以外で見るものが複数あります。
御朱印を拝受しようと 宮司様のご自宅のピンポンを押してお願いしたところ 宮司様が境内を案内してくださいました。
社務所の奥に保管されている 神代文字の版木を見せてくださいました。こちらは文化財にも指定されています。
そもそも版木が残っているだけでもすごいと思いましたが それが神代文字ですからなおのことです。
力の泉は 今も井戸に水が湧いており ポンプを使ってだと思うのですが 境内の水道の蛇口からも出ています。
お忙しいであろう時間帯に わざわざご案内いただき 感謝いたしています。
ネット情報です。
創祀年代は不詳。
平安時代前期の貞観16年(874年) 従五位下に叙せられた。もとは式内社名を称した。
御祭神は大苫邊尊。『古事記』にある神世七代の五代目の兄妹神の妹神 女神であり そのために 「比売神社」か。
ちなみに 伊弉諾尊・伊弉册尊は七代目なので それよりも古い神ということになる。
式内社の中で 苫邊尊を祀るのは当社が唯一。また 兄神である大戸之道尊とともに祀られない 珍しいパターンともいえる。
「意富(オホ)」は「大(オオ)」を 「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」 つまり港を意味するという。
そのため 現在の上八万町にあたる「八萬津」を祀る神であり 昔は「大きな港」があったことを示すともされる。
もとは現在地の南500メートルほど 上八万小学校の西南の山腹に鎮座していたという。
現在 古社地は農地になっているという。
天正年間(1573年-1593年) 長宗我部元親による阿波国侵攻の際 兵火により社殿が焼失した。
その後 神林地としての現在地に社殿が再建された。
その時より宅宮大明神として奉斎されたという。
現在までに 日本唯一の家宅の守護神である。

正面石鳥居

由緒書

鳥居の扁額

手水舎

清めの岩


神社の解説

本殿

内陣

だいぶ古いですね


力の泉

夫婦杉 元ご神木

境内社 厳島神社

十二社詣りの由来

十二社神社の鳥居

十二社神社

朝宮神社

宅宮神社のご祭神

社務所

広々としてとても落ち着く神社さんでした。
駐車場は鳥居前にありますが、沢山は停めれません。
御朱印を頂きに神社横の御神職のお宅へ、お留守でしたので書置きを頂いてきました。



神社略歴

手水舎


清めの岩…大悪災が生じた場合には黒い穴が出現し、吸い込んで消滅させるとの言い伝えがあるようです。コロナ発生前には大岩が真っ二つに割れたとか…







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