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国分寺ではいただけません
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こくぶんじ

国分寺のお参りの記録(1回目)
徳島県府中駅

投稿日:2023年11月15日(水)
参拝:2023年11月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 3回目に出かけました。
15番札所のお寺です。
14番札所常楽寺から車で5分ほどの距離です。
山門すぐ前に駐車場があり 参拝しやすいです。
仁王様はいませんが 聖武天皇勅願所の石柱(?)が どんと構えています。
山門をくぐると左手に地蔵堂があります。
七重塔礎石があり きれいに剪定された松が植えられていました。
続いてきれいな彫刻が目を引く鐘楼があります。
右手には大師堂があります。
大きくはないのですが 立派な建物です。
奥には本堂があり 瑠璃殿と書かれていました。
本堂右手には烏瑟沙摩明王堂がありますが 密教における明王の一尊だそうで 初めて拝見しました。
その右奥には納経所があり そちらから国の名勝に指定されている庭園に行くことができます。
あいにく団体様がぞろぞろと入っていかれたので 遠慮しました。
こちらの庭園は「阿波の青石」を豪快に組んだ枯山水が特徴だそうで 戦国武将三好氏が16世紀後半の安土桃山時代に築かれたと推定されているそうです。
高さ4.3 m余の立石は全国最大級だそうです。
山号は薬王山
院号は金色院
宗旨宗派は曹洞宗
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:薄く濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死(るてんちょうじ)の秋のもみじ葉(ば)
でした。

由緒については
天平13年(741年) 聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられた国分寺の一つ。
寺伝では行基が自ら薬師如来を刻んで開基し 聖武天皇から釈迦如来像と大般若経 光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっている。
当初は法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院であった。
弘仁年間(810 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫した際に真言宗に改宗したとされる。
史実としては 正確な成立過程は不明であるが 『続日本紀』に天平勝宝8年(756年) 聖武天皇の周忌に際し 阿波国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したとの記載があり 遅くともこの頃には完成していたことがわかる。
天正年間(1573 – 1592年)土佐の長宗我部元親率いる軍の兵火によって焼失。
長らく荒廃していたが 寛保元年(1741年)に徳島藩主蜂須賀家の命により郡奉行速水角五郎が復興にかかり 丈六寺の吼山養師和尚が再建したことから延享3年(1746年)真言宗派から曹洞宗に改め宇治興聖寺の末寺となった。
とありました。
国分寺(徳島県)
山門
国分寺(徳島県)
聖武天皇勅願所の碑
国分寺(徳島県)
阿波国分寺跡の説明
国分寺の建物その他
地蔵堂
国分寺(徳島県)
七重塔礎石
国分寺(徳島県)
鐘楼
国分寺(徳島県)
鐘楼堂の彫刻
国分寺(徳島県)
本堂
国分寺(徳島県)
本堂
国分寺(徳島県)
国分寺の本殿
本堂内陣
国分寺(徳島県)
本堂左側の庭
国分寺(徳島県)
国分寺(徳島県)
どなたかの廟?
国分寺(徳島県)
大師堂
国分寺(徳島県)
国分寺(徳島県)
烏瑟沙摩明王堂
国分寺の建物その他
烏瑟沙摩明王はトイレの神様だとか
国分寺(徳島県)
国分寺(徳島県)
境内全景
国分寺(徳島県)
駐車場の石仏

すてき

御朱印

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