にっこうふたらさんじんじゃちゅうぐうし
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日光二荒山神社中宮祠のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月28日(火)
参拝:2020年9月吉日
日光二荒山神社中宮祠(にっこう・ふたらさん~・ちゅうぐうし)は、栃木県日光市にある神社。中禅寺湖の北岸、男体山山麓に位置する。男体山山頂にある日光二荒山神社奥宮と、日光山内にある二荒山神社本社の中間にあるため「中宮祠」と呼ばれる。古くは「男体中宮」、「男体権現」、「中禅寺権現」などとも呼ばれた。本殿、掖門、透塀、拝殿など7棟が国指定の重要文化財。
社伝によると、奈良時代の782年、日光山開祖の勝道上人が男体山登頂の後、784年に建立。二荒山神社の神宮寺である中禅寺と同時に創建された。その後1096年、1155年、1161年に社殿が造営され、現在の社殿は江戸時代前期の1699年の造営。
当祠は、中禅寺北岸を通るメインストリート、国道120号線沿いの、男体山の山麓にある。社殿脇には男体山の登拝口(登山口)があり、登山受付は社務所で行う。社殿等が立つエリアは広くはないが、社殿は大きく見ごたえがある。
今回は、日光二荒山神社に関連する祠として参拝することに。参拝時は祝日の午後、境内には参拝者、登山者が混在し、そこそこの人出だった。
社伝によると、奈良時代の782年、日光山開祖の勝道上人が男体山登頂の後、784年に建立。二荒山神社の神宮寺である中禅寺と同時に創建された。その後1096年、1155年、1161年に社殿が造営され、現在の社殿は江戸時代前期の1699年の造営。
当祠は、中禅寺北岸を通るメインストリート、国道120号線沿いの、男体山の山麓にある。社殿脇には男体山の登拝口(登山口)があり、登山受付は社務所で行う。社殿等が立つエリアは広くはないが、社殿は大きく見ごたえがある。
今回は、日光二荒山神社に関連する祠として参拝することに。参拝時は祝日の午後、境内には参拝者、登山者が混在し、そこそこの人出だった。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。撮影位置の背後には国道120号線と<中禅寺湖>。
階段を上がると<八脚門>がある。
<八脚門>をくぐる。前を横切るのは、東側鳥居からの参道。
<中門>を中心に<中宮祠>全景。背後に見えるのは<男体山>。
階段上って右手にある<手水舎>。
<中門>は、国指定の重要文化財。
<中門>をくぐったところ。拝殿までは屋根で繋がっている。左側には神楽殿がある。
<拝殿>は、国指定の重要文化財。なお扁額は明治時代の右大臣・三条実美の揮毫を模したもの。
拝殿の右後ろには<授与所>。御朱印はこちら。
授与所は、<男体山登拝受付>を兼ねている。
社殿の右側全景。登山装備の人々が次々に奥に向かっていく。
奥には男体山登山口の<唐銅製鳥居>と<登拝門>。唐銅製鳥居は国指定の重要文化財。青銅鳥居の右脇には<男体山の(大蛇)御神像>。
拝殿の背後の<本殿>。三間社流造、銅瓦葺、漆塗。江戸時代中期の1701年に中門、掖門、透塀とともに再建。いずれも国指定の重要文化財。
本殿の脇にある<中宮祠七福神・恵比須神>。
唐銅製鳥居に向かう道の右手にある<さざれ石>。
青銅鳥居に向かう道の右手にある<銭洗い・男体龍水>(左)と<中宮祠七福神・弁財天>(右)。
中門から出て、手水舎の向かい側にある<稲荷神社>。
<稲荷神社>は、江戸時代末期の1863年建立。
こちらが、境内東側にある<鳥居>と<社号標>。鳥居をくぐって進むと、八脚門の裏に出る。
境内南端鳥居近くから南東方向を望むと、写真中央湖畔に小さく見えるのが<中禅寺>。
すてき
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