おおさきじんじゃ
大前神社のお参りの記録一覧
さて、なんでこんなド田舎に式内社が!?という大前神社にやってきました。
ちなみに「おおさき」と「おおまえ」両方で登録されててどちらに投稿しようか迷った(^^;
「おおまえ」の方がまだ未投稿だったので、そちらに投稿して「一番目に投稿」を掠め取るか(*´艸`)とも企てましたがw 皆さん「おおさき」の方に投稿されてるようだし、基本情報をコピペするのも面倒なのでこちらに(違w)
ちなみに宮司さんに「おおまえ神社の・・・」と尋ねたところ、「おおさき神社ですね」との回答だったので、社家的には「おおさき」の方が正しいみたい。
祭礼日と受印情報を追加。
あと参拝時にちょうど初宮参りに来てた御家族がいたため、体験で「お宮参り」にチェック入れときましたw 産土神が式内社とは贅沢な赤さんだな☆
式内社で大前神社というと、やはり真岡のあそこの方が圧倒的に有名ですが、同名なので混同する人もいるのか、Google Mapのクチコミを見るとこちらに真岡の写真やコメント入れてる人も(^^;
40km以上離れてるし、栃木県民なら藤岡と真岡を取り違えるなどあり得ないので県外の人かと思うが・・・まぁ知名度だの魅力度だの下世話なランキングでいつもワーストトップに食い込む栃木県だしなw よそ者の認識なんてその程度よ(ノ∀`)
自分は社格自体はあまり興味ないのですが、やはり式内社なんてのはそれなりの古社なので古代史や考古学的側面からは興味津々♪ この辺りも天国府だの国造だのいろいろロマン溢れる地名が付いてるらしいし。
ちなみに下野国府も同じ栃木市内にありますが、ず~っと北東に離れた思川中流近く。
もともとここに国府があって移転したのか? でもここだと南すぎて下野国全体を治めるのに不便すぎないか? あ、でも初期は那須国と別れてたから無問題か☆ ・・・などといろいろと妄想掻き立てられてwktkできる神社ですw
神社の少し北にある元宮の石碑も見てきました。
が、画像に載せたように実際に元宮があったのはもっと北とのこと。
Google Mapには「大前神社(獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮)宮跡地」と記載されてますが・・・これ埼玉古墳群の金錯銘鉄剣の文言(^^;
おそらく登録した人は古田武彦先生の「関東に大王あり―稲荷山鉄剣の秘密―」あたりを元に、ここにワカタケル大王こと雄略天皇の斯鬼宮があった!( ・`д・´)キリッと主張してるんだろうけど・・・ナイナイ(ヾノ・∀・`)
地元贔屓で魏志倭人伝の「狗奴国=毛野国」説を信じる私ですらこの説は荒唐無稽ですわ┐('~`;)┌ (五十歩百歩だ!www)
八坂神社で拝受した御朱印
これも見開きというには小さすぎる紙に横向きに書かれてる
神社より5~600m手前の藤岡第一中学校近くに一の鳥居
駐車スペースがないので少しだけ路駐して車内より撮影
門前左には神仏習合時代の地蔵や石仏など
「縁起式内」が誇らしげな評注w
狛犬の頭がめり込んでるw
左手に手水舎
二の鳥居
三の鳥居
右手に神楽殿や社務所
拝殿
神社の本殿彫刻でよく見る、イルカに乗った少年ならぬ、鯉に乗ったオッサンですねw
https://youtu.be/Qu1s02DrQE4
やはり摂社末社はかなり多いです
一社づつ拝めないのでまとめて遥拝(-人-)
御輿庫
覗いてみたけど暗くてよくわかりませんでした
御輿庫の右側にも摂社
ここも磐裂神社と同様、本殿は高台にあって渡り廊下が中空式
渡り廊下を潜って右側へ
こちらにも境内社がいくつかありますが祭神不明
境内右後ろに少し高めの塚があり、その下に3つ並んだ社
富士塚のようなので頂上にあるのはたぶん浅間神社
・・・しかし富士山八十八回登拝とか、水戸部直吉パネェ!Σ(*゚Д゚*)
隣は公園、散歩してる人のラジオから渡辺美里のMy Revolutionが流れてました♪
https://youtu.be/S4K6A8p3Yl4
西宮神社で書いた彼女がTM networkのファンでねぇ、よくウツと小室哲哉の話ししてましたわ(*´-`)
・・・木根さんの話題だけは出たことがなかったなw
神社の一本北の農道にある元宮の石碑
実は本当に元宮があった位置はここではなく、区画整理で移転されたものとのこと(^^;
周辺地図
元宮があったのはもう少し北です
しかしいくらなんでも「獲加多支鹵大王の斯鬼宮」はないだろwww
大前神社(おおさき~)は、栃木県栃木市藤岡町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は於褒婀娜武知命(おおあなむち:大己貴命)、配祀神は神日本磐余彦火々出見命(かむやまといわれひこ:神武天皇)。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下野國 都賀郡 大前神社 小」に比定されている。社殿によると、993年の平将門の乱の兵火で社殿を焼失、間もなく再建するも室町時代に火災で焼失、祭祀が数百年断絶した。戦国時代の1591年社殿が再建され、江戸時代の1622年に当地が古河領になると、領主永井直勝が社地を寄進し、永井氏の佐倉移封後も武の神として崇敬した。明治になると、近代社格制度下で郷社に列し、1879年に南方400mの現在地に遷座した。
当社は、東武日光線・藤岡駅の北方2.5kmほどの、畑作エリアの小丘の上の小森の中にある。樹木の樹勢がすごいのか、境内入口から昼なお暗いのが印象的。境内周りも樹木がないのに光は少な目で、神聖な雰囲気といえばその通り。広さはそこそこで、小さめの郷社相当。
今回は、下野國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の昼ごろ、自分以外に参拝者は見かけなかった。
※当社は無人社だが、ネット情報では宮司さん宅で御朱印を拝受できるらしい...
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。社叢の木々が鬱蒼としており、社殿までがトンネルのように見える。
入口の<一の鳥居>。ここまで近づいても、奥は暗くてよく見えない。
鳥居をくぐって左側にある、2本柱の簡素な<手水舎>。
手水舎前から前方を望む。さっそく<二の鳥居>が現れる。二の鳥居前には、燈籠が2対、狛犬が1対、いずれも新しいそうな奉納物が並ぶ。
<二の鳥居>と<狛犬>。狛犬の台座が高い。
<拝殿>全景。銅板葺のシンプルな拝殿。参道を挟んで離れた位置に狛犬と燈籠が立っている
<拝殿>正面。軒下には龍の彫刻。
拝殿正面上方に掛かる、<延喜式内 大前神社>の簡素な扁額。
社殿左手の石製小祠群。祠も台座も揃っているので、最近の同時期の建立かな。
こちらは<御輿庫>。
<社殿>全景。
拝殿後方の<本殿>は高い位置にあり、立派な石垣の上に一般住宅のような造りで建っている。
社伝に向かって右手にある<神楽殿>。その後ろにあるのは<社務所>っぽいが入口がない...
建物の反対側(南側)に回ると<社務所>との表示が。当社は無人社だが、ネット情報では宮司さん宅で御朱印を拝受できるみたい。
下野国式内社とされる神社。読みは「おおさき」だが、「おおまえ」と読むこともあるらしい。案内板には近郊では「おおまえ」と呼ぶと書かれていた。町の名前は「おおまえ」。
摂社・末社がたくさん。なんとなく雰囲気が良かった。
目の前にある駐車場は幼稚園のものと思うので境内脇のスペースに駐車。車を洗ってる人がいた。
普段は誰もいない雰囲気なので、何かしら祭りなどがない限りは御朱印はもらえないかと思える。トイレはすぐ隣の公園にあるが、きれいとはいえず女性はキツイかも? と思えた。
本殿
中には明治天皇、大正天皇、昭和天皇と書かれていました
社務所。ここに車を1台停められるスペースが。
完全に写り込みました笑
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