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慈眼寺のお参りの記録(1回目)
栃木県小金井駅

投稿日:2026年06月06日(土) 05時58分28秒
参拝:2024年5月吉日
栃木県 下野市 小金井 に境内を構える、金剛乗院 多宝山 慈眼寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼しておりましさ、2024.に参拝致しました、寺院対応は親切だした。どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 多宝山、院号は 金剛乗院、寺号は慈眼寺、宗旨 宗派は 真言宗智山派、ご本尊は十一面観世音菩薩、関東八十八ヶ所霊場 第二十番札所 十一面観世音菩薩、
今から七百八十年前の建久七年(1196年)後鳥羽天皇の御代、下野の豪族新田義兼公の開基により新田一族の祈願所として建立された真言宗の古刹寺院である。当時から、七堂伽藍を有した東国の名刹寺院として代々新田氏に保護されてきた。
又、弘安十年(1287年)に高野山の学僧信日法師が書写せる、「空海御遺告文」が当時から寺宝として伝わっていることから、相当の寺格を有していたことが考えられる。
下りて、応永年間(およそ590年前)醍醐の俊海僧正を迎え、當山の中興第一世とした。それによって、今日と醍醐寺の直末寺院となり。末寺十数ヶ寺を有し、室町幕府の保護を受けて、寺門は大いに隆盛を極めた。
応永三十年(1423年)に俊海僧正によって印可の授与された記録が残っており、真言宗の奥義が當山で伝授されていたことが明らかであり、関東の有数な寺院であったことがうかがわれる。又、僧侶の学問・修行の道場として多くの学僧が学んでいたことが記録として残っている。江戸時代に入って、慶安二年、家光公の御代、先規の例に習い、御朱印二十石を賜り同時に、従来から学問と修行の道場として活動してきた慈眼寺が、公式に常法談林の格として認められた。日光街道が完備し、特に、日光に 徳川家康公の御霊廟が出来てから、日光社参の将軍家は、當寺を昼食所として定められた。それによって、将軍家と當寺は、深い関係を持つに至った、日光社参の将軍家と慈眼寺との関係を物語ることができる。又、當山古文書である「御年礼録」によると、當山住職は、毎年正月、江戸城に年始に参内することを許されていた。その時は、寺社奉行から 拾万石大名の待遇をうけ、宿は江戸湯島天神門前町伊勢屋彦七旅館と定められており二十日間を要する大行事であったようである。下りて、安永五丙申年には、将軍家治公の御来山を戴き、将軍家との関係も益々深くなり、諸堂の改築も行われた
慈眼寺の御朱印
関東八十八ヶ所霊場 第二十番札所 十一面観世音菩薩、十一面観世音菩薩、御朱印です
慈眼寺(栃木県)
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