かしまじんじゃ
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楽しみ方鹿島神社 (福富町)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年02月10日(土) 08時38分07秒
参拝:2024年2月吉日
普門寺の山号由来になってると思われる、隣に立つ鹿島神社です。
こちらはやはり神社ということもあり、祭神と年譜だけながら資料が出てきました♪
遷座前の住所もあったのでググってみたのですが、残念ながら現存しない住所だった( ´・ω・`) ただ「渡良瀬川改修工事で移転」というのと、近い住所から調べてみたところ、どうも北300~400mくらいの所にあったっぽい。
なるほど、これくらいの距離なら離れてた時でも別当関係が成立しなくもないかな?('_'?)
神社自体の縁起について、例によって創建年代から推測してみました。
延文(北朝)三年、中央では足利尊氏公の三男の義詮公が二代目征夷大将軍に就任。
この時代は足利家の天下ですので、中央の動きが足利荘にもモロに関わってくるので、この義詮公将軍就任を祝して神社を建てたなんて考えても良いかと。
一応、地元目線でも調べてみたところ、この少し前に尊氏公の弟の直義公と、足利家執事の高師直と対立した「観応の擾乱」という内乱が起こってますが、むしろ足利荘は高氏の勢力の方が強かったらしいので、高氏が戦勝祈願で武神の鹿島さんを勧請したなんて可能性も・・・
ていうか室町時代は複雑すぎてよくわからん(*_*;
足利家や幕府内どうしでしょっちゅう内乱や内ゲバしてるし、そこにさらに南朝・北朝の諸勢力が絡んできたりするからカオス過ぎて・・・(>_<)
源平合戦や戦国時代の武将は人気があるのに、応仁の乱とか室町期の武将や戦があまり人気がないのもわかるような気がしますw
こちらはやはり神社ということもあり、祭神と年譜だけながら資料が出てきました♪
遷座前の住所もあったのでググってみたのですが、残念ながら現存しない住所だった( ´・ω・`) ただ「渡良瀬川改修工事で移転」というのと、近い住所から調べてみたところ、どうも北300~400mくらいの所にあったっぽい。
なるほど、これくらいの距離なら離れてた時でも別当関係が成立しなくもないかな?('_'?)
神社自体の縁起について、例によって創建年代から推測してみました。
延文(北朝)三年、中央では足利尊氏公の三男の義詮公が二代目征夷大将軍に就任。
この時代は足利家の天下ですので、中央の動きが足利荘にもモロに関わってくるので、この義詮公将軍就任を祝して神社を建てたなんて考えても良いかと。
一応、地元目線でも調べてみたところ、この少し前に尊氏公の弟の直義公と、足利家執事の高師直と対立した「観応の擾乱」という内乱が起こってますが、むしろ足利荘は高氏の勢力の方が強かったらしいので、高氏が戦勝祈願で武神の鹿島さんを勧請したなんて可能性も・・・
ていうか室町時代は複雑すぎてよくわからん(*_*;
足利家や幕府内どうしでしょっちゅう内乱や内ゲバしてるし、そこにさらに南朝・北朝の諸勢力が絡んできたりするからカオス過ぎて・・・(>_<)
源平合戦や戦国時代の武将は人気があるのに、応仁の乱とか室町期の武将や戦があまり人気がないのもわかるような気がしますw

比較的新しい幟ポールあり
拝殿内の様子を見ても定期的に祭礼は行われてると思われる。
拝殿内の様子を見ても定期的に祭礼は行われてると思われる。

額は完全に磨耗してます

わりと新しくて大きい狛犬が立ってる

左側に摂社と大黒天像

社殿

社殿内

足利市政100年でコーエーとタイアップしたポスター
これがあるということは確実に2年前に人が入ってるw
これがあるということは確実に2年前に人が入ってるw

本殿の榊も新しい様子
間違いなく正月か節分に祭礼があったと思われる
間違いなく正月か節分に祭礼があったと思われる

ここも御神体は神宮大麻
すてき
投稿者のプロフィール

くし1703投稿
信仰とは神仏への推し活と見つけたり 御朱印はサイン、御守り・御札はファングッズ、祈祷は握手会、祭りはファン感謝イベントだ!(違) ・・・寺社、歴史、民俗、ヲタカルチャー好きの好事家です。 好きな...もっと読む
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