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2024年02月10日(土) 20時49分 byくし
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不明
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身代り不動尊
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身代り不動尊(杉山家)
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ここは元、地蔵山能満寺でこのお堂は身代不動と呼ばれています。中に不動明王が立っています。 能満寺というのは京都の山代寺(山伏寺?)の末寺とされていたようですが、明治元年の神仏(分離後は?)この地は杉山家の宅地となって・・・(以下数行判読不可+像容説明のため割愛) 土地の古老の話では廃寺後もこの地に(残っていたが?)明治三十九年の渡良瀬川の洪水で倒壊したあと、近くにあった二つの小さな寺と一緒に普門寺に移され、不動尊像だけが杉山家に残されたと云います。 以前の不動堂は大正五年に作られたもので、その建築について次のような話があります。 【夢のお告げで不動堂を建てた】 大正三年の秋のある夜、寝ていた杉山家の(判読不能)市さんをゆり起こすものがいます。「どなたですか?」不思議に思って尋ねると 「今の所は狭くてどうしようもない、もっと広い所に出して欲しい、私、不動明王だ」こう云うと、かき消すように姿が消えました。 ・・・以降は判読困難なため割愛。 夢のお告げに従い不動堂を建立。いつ頃からか「身代り不動」と呼ばれるようになり、「病気が治るように」「お産が無事済むように」と身代りを願う人で賑わうようになった。 戦時中は「赤紙が来ないように」「戦地にいる親族が弾に当たらないように、無事に帰れるように」といった祈願で大変賑わったというようなことが書かれていました。 (案内板より、一部編集・補足)
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廃寺になり地元の杉山家に継承されたお不動さま。 夢のお告げで不動堂を建立。
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堂前に駐車場があるが、お堂の沿革から見ると個人所有らしく駐車可能か不明
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地蔵山
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大正五年(1916年)
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杉山家
