まごたろうじんじゃ
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楽しみ方孫太郎神社のお参りの記録一覧

縁起によると、藤原秀郷公により天命の春日ノ丘(現在の城山公園)に建てられた寺の守護神として創建されたといいます。
しかし、その寺も神社も保元・平治の乱の兵火で焼失してしまい荒廃の地となってしまいました。
その後、文永の頃(1262〜1272)に寺は俊海上人によって再興され、同じ時期に「孫太郎」と称していた秀郷八代の子孫にあたる足利家綱公が神社の再建に尽力したため、後に自然と「孫太郎明神」と呼ばれるようになり社名となったそうです。
少し時間があったので、駅の近くでどこかお参りできないかなと思いたどり着きました。
奈良の薬師寺境内にも同名の神社があるとのことですが、当社が本社なのですね😊
天狗団扇の神紋

藤姓足利氏3代当主、藤原秀郷7代孫の藤原(足利)家綱を祀る神社。
「怪力士家綱の伝説」が伝わる神社です。
時は後白河天皇の御世。
家綱は武勇に優れた体格の立派な武士で、御所警固のために都に上洛しました。
ところが何をやっても優れていた家綱は、嫉妬した同僚の小野寺民部の讒言によって九州の大宰府に左遷されてしまいます。
九州で、家綱は同じ境遇であった菅原道真を思い、無実の罪が晴れるよう天満宮に毎日祈りました。
その頃、朝鮮から毎年の朝貢の使者が日本にやってきましたが、その年は貢物ではなく3人の力士を連れてきて
「相撲で勝負ニダ! ウリが勝ったら来年からは日本が貢物を持ってくるニダ!」と宣言。
3人の朝鮮力士は「我慢(がまん)」「蛇慢(じゃまん)」「岩幕(がんまく)」といって、3人とも400kgもある岩を持ち上げて叩きつけると、岩が地面に埋まってしまうという怪力の持ち主。
都にはこの三力士にかなう者がおらず、家綱に白羽の矢が立ち都に呼び戻されて相撲を取ることに。
挑発に乗り三力士と一度に戦うことになってしまった家綱ですが、3人とも一瞬で投げ飛ばし勝利!
この手柄により無実の罪が晴れ、家綱は故郷の佐野に帰ることができました。めでたしめでたし。
格闘漫画の王道のようなストーリー、朝鮮三力士のネーミングとか設定も実に厨二テイスト溢れててこの伝説大好きですwww
日本人はやはり平安時代から未来に生きてたんですねw
御朱印は近くの「みかわや」という和菓子屋さんでいただけます
直筆でお店のご主人が目の前で書いてくれます
神社自体は街中にある小社
この辺近くに駐車場がないので門前に止めてスピード参拝(*_*)
みかわやさんも駐車場はありませんが、そちらは店公認で前に路駐可です
右手に摂社が2つ
社殿
みかわやさんへの地図
みかわやさんで売ってる七福神人形焼き
どら焼
他に「さの丸もなか」とかありましたw
栃木県のおすすめ2選🌸
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