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まごたろうじんじゃ

孫太郎神社の御由緒・歴史
栃木県 佐野駅

ご祭神主祭神:豊受姫命
配神:宇賀魂神、猿田彦神、豊城入彦神
ご由緒

天慶の乱に平将門を討った田原藤太秀郷により、天命の春日ノ岡(現在の城山公園)に建てられた寺の守護神として祀られました。しかし、寺も神社も天保・平治の乱に兵火に遭い、荒廃してしまいました。その後、文永年間に寺は俊海上人によって再興され、同じ時期に神社もまた修復されましたが、その再建に力を尽くしたのが孫太郎と称していた秀郷八代の子孫に当たる足利家綱でした。里人達はそれを大変に徳としまして、それから後神社の名を「孫太郎明神」と誰いうとなく呼びならわし、いよいよ崇敬の念を篤くしたとされています。
慶長七年、唐沢山城主・佐野修理太夫信吉は、春日ノ岡に新しく城を築くこととし、天命の街づくりに着手しました。このために従来あった寺は安蘇川(現在の秋山川)左岸に城下の防備を兼ねて移されました。この寺が厄除け大師で知られる春日山岡山惣宗寺であります。しかし、稲荷社は新たな春日岡城(現在の城山公園)の守護神としてそのまま鎮座されました。その往時、神徳のあらたかな社として参詣者は日々市をなすほどの賑わいをみせたと伝え残されています。
やがて時移り大正六年三月、関係者特に伊賀町有志の尽力により城山公園に鎮座する孫太郎神社を現孫太郎公園内に遷座し、町内鎮守の神として尊崇されて参りました。その後平成七年十月に駅南土地区画整理事業に伴い現在地に遷宮、今に至っております。
また春日岡城、唐沢山城の守護神であるとして北向きに構える社であられることは、全国でも稀な存在として注目されてもおります。
また、駅南区画整理事業で消滅しましたが、遷宮前は境内の北東側に沿ってあまり広くない道路が大きく弧を描いていました。この道路は安蘇馬車鉄道の線路の跡であります。つまり孫太郎神社は、佐野における近代遺産と呼べる線路跡に沿って建立されたため、西北の向きとなったとも云われております。
現在判明している同名の神社としては、他に奈良・薬師寺境内並びに京都・私庭園内に二社が確認されております。
(神社縁起案内紙より)

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