ほうりゅうじ|浄土宗|一渓山
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宝竜寺の編集履歴
2021年12月11日 19時18分
ふりがな
ほうりゅうじ
ご由緒
京都百万遍大本山知恩末寺。
1523年(大永3)唐沢城主佐野泰綱によって創始される。1554年(天正12)兵火にて焼失。
1559年(慶長4)泰綱の曽孫佐野政綱(天徳寺了伯)旧地田沼町字小見より現在地に移転再建。始めは徳水山東根院と号したが、開基泰綱の遺徳を顕彰すべく、再建に際してその戒名東根院殿一溪唯禅大居士の中から二字をとり一渓山と号するようになった。本尊は阿弥陀如来。また、佐野坂東第14番聖観世音菩薩を安置する。
第4代住職呑龍上人の高徳をしのび、毎年9月呑龍上人大祭を挙行。現在も子育てを願う参詣者で賑わっている。
寺の什物として天徳寺了伯使用の耳盥と水差及び宗綱屋形の屏風が保存されている。江戸時代の陽明学者中根東里はこの地を選んで境内に知松庵を建て1746年(延享3年)から1753年(宝暦3)まで、知松庵にあって陽明学を講義した。昭和16年戦争のために梵鐘を供出したが昭和46年法然上人開宗800年を記念し香取正彦(人間国宝)作の梵鐘が鋳造された。
境内には鋳銅阿弥陀如来坐像(佐野市重文指定、元録7年天命鋳物師丸山孫右ヱ門作)が安置されている。
駐車場
あり
山号
一渓山
創始者/開山・開基
遙蓮社岌順意公上人
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