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2025年03月06日(木) 06時16分 byくし

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ご由緒
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資料が見つからず詳細不明。
国道50号線を挟んで北数百mの所に茂呂山という独立小丘があり、社名はこれに由来、またはもともと茂呂山に鎮座していたものか?
茂呂山は現在は鹿が飼われた茂呂山公園となっていて、古墳や史跡とは見なされていないようであるが、かつては寺院があったらしく公園内の入浴施設に出土した瓦などが僅かながら展示されていた。
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当社から国道50号線を挟んで北約500mに、茂呂山という標高39mの小高い丘がある。
現在、茂呂山公園して鹿などが飼われているこの山には、かつては「茂呂山神社」という、江戸からも参拝客が来るほど著名な霊山だったという。
しかし、安政三年(1856)5月24日に焼失。
慶応二年(1866)に再建されたが、その後何らかの理由で再び神社が無くなってしまったという。
そこで村で講を立て、明治年間に神社再建のため寄付を募っていたが、結局、神社再建は実現しなかったという。
おそらく本社は茂呂山神社再建までの仮宮として建てられたものではないかと思われる。
神仏習合の時代は、南の飯田町にある光永寺が茂呂山神社の別当寺であった。
天保五年の光永寺の本堂建立も、茂呂山神社の賽銭によって成されたものだという。
見所
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かつて茂呂山にあった茂呂山神社の仮宮と思われる。
創立
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不詳
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不詳 幕末~明治頃?