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2024年02月06日(火) 21時09分 byくし

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ご由緒
編集前
明応3年(1494年)水戸80万石の領主佐竹義輔御が父遠江守義定公の為水戸城内に開創したもの。開山は秀峰在岱和尚。
院号の由来は、水戸の千波湖の龍神が和尚に大戒を受けされ、歓喜して宝珠を捧げたという伝承に因む。
その後、佐竹氏の秋田改易に伴い十二世玄芳和尚が城主と訣別し開山の木像所伝の法宝等を棒持して野州間々田村に至り龍晶寺を開山、更に錫を転じて、佐野免鳥に至り慶長18年(1613年)牧野伊予守成里師の徳風を慕いて知行内羽田に建立したのが当山である。

【エラスムス像】
観音堂に「貨狄(カテキ)像」(古代中国の伝説の船の発明者)というものが伝わっていた。
この木像の巻物の表面にERASMVS RETTERDAM 1598という文字が書かれていたことから、三浦按針ことウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンを乗せて400年前に豊後(大分)沖に漂着したオランダ船 デ・リーフデ号の船尾版(トランサム)に飾られていたエラスムス像であるということが1920年に明らかになった。
徳川家の旗本で当時この辺りの領主だった牧野成里は、砲術をウイリアム・アダムスから指南された。このときエラスムス像をもらい、長らく牧野家の裏門近くのお堂に置かれていたといわれる。
エラスムス像は重要文化財に指定され東京国立博物館の収蔵庫に保管されている。
編集後
明応3年(1494年)水戸80万石の領主佐竹義輔御が父遠江守義定公の為水戸城内に開創したもの。開山は秀峰在岱和尚。
院号の由来は、水戸の千波湖の龍神が和尚に大戒を受けられ、歓喜して宝珠を捧げたという伝承に因む。
その後、佐竹氏の秋田改易に伴い十二世玄芳和尚が城主と訣別し開山の木像所伝の法宝等を棒持して野州間々田村に至り龍晶寺を開山、更に錫を転じて、佐野免鳥に至り慶長18年(1613年)牧野伊予守成里師の徳風を慕いて知行内羽田に建立したのが当山である。

【エラスムス像】
観音堂に「貨狄(カテキ)像」(古代中国の伝説の船の発明者)というものが伝わっていた。
この木像の巻物の表面にERASMVS RETTERDAM 1598という文字が書かれていたことから、三浦按針ことウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンを乗せて400年前に豊後(大分)沖に漂着したオランダ船 デ・リーフデ号の船尾版(トランサム)に飾られていたエラスムス像であるということが1920年に明らかになった。
徳川家の旗本で当時この辺りの領主だった牧野成里は、砲術をウイリアム・アダムスから指南された。このときエラスムス像をもらい、長らく牧野家の裏門近くのお堂に置かれていたといわれる。
エラスムス像は重要文化財に指定され東京国立博物館の収蔵庫に保管されている。
見所
編集前
三浦按針ことウィリアム・アダムスや、八重洲の語源となったヤン・ヨーステンが乗ってきたオランダ船リーフデ号の船尾像であった、人文学者エラスムスの像が伝わる。
編集後
三浦按針ことウィリアム・アダムスや、八重洲の語源となったヤン・ヨーステンが乗ってきた、オランダ船リーフデ号の船尾像であった人文学者エラスムスの像が伝わる。