御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2025年03月04日(火) 19時01分 byくし
編集前
36.2826584
編集後
36.282362214374785
編集前
139.5572123
編集後
139.5568620561392
編集後
赤松福地家代々の守護神として伝わる十一面観音は、一寸六分(約5.3cm)の黄金造りのもので、遠祖 具平親王(人皇第六十二代村上天皇第七皇子)より、秀房(赤松氏祖)、則景、能久(福知山城主 福地家祖)と受け継がれた。何時の頃よりか、御本尊を兜の前立てに納め、数多の合戦に出陣した。 第七代丹波守直久は、西国の乱(応永四年五月十八日)に際し、備中戸岩の城攻めの時、敵兵の放った矢を兜に受けたけれど、矢の根が折れて裏まで貫通せず無事であった。 また第二十代出羽守寧久(後に昌寧と改む)は、天正十一年正月朔の未明、唐沢山城々主 佐野宗綱公に従って彦間須花坂の戦いに臨んだ時、敵兵の放った鉄砲の弾丸が兜に当たったが、弾丸は微塵に砕け散っただけで、少しの傷も受けなかったという。 これも十一面観音の新例の加護によるものと語り伝えられている。因みに寧久の法名は「霊性院殿一弾全無大居士」になっている。 この御本尊を厨子に納め、赤松福地一族の守護神として堂宇を応永年間(1467~8)に建立したのが、椿田十一面観音福地堂である。
編集後
https://www.city.sano.lg.jp/soshikiichiran/kyouiku/bunkazaika/gyomuannai/3/4870.html
