曹洞宗
本光寺のお参りの記録一覧
参拝記念
四国八十八ヶ所霊場巡りが出来るそう
1つ1つの石柱に各霊場の御石が入れられていて、その御石を撫でて廻る事が出来ます
住職がいつか実際に廻れますように と作られたそうです
落雷によって折れてしまった杉の根本の中に地蔵様を彫ってもらい、忙しない現代人に頑張り過ぎない(=杉無い)とご住職が気持を込めて置いた物だそうです
加茂別雷神社からも遠からぬ所にある佐野家の菩提寺です。
戦国時代の佐野家に、地方の小大名ながら越後の上杉謙信を何度も撃退した佐野昌綱という領主がおりました。
この昌綱公、謙信を相当ライバル視していたらしく
「謙信が死んでからその一周忌を俺の命日にしろ」
という謎の遺言を残したそうです。 記録上だけでも謙信より長生きしてやったぜbaby!という小大名の意地でしょうか?
その「嘘の命日」が刻まれた昌綱公の墓石を見てみたく参拝しました。
参拝後に年配の住職様にお願いしてみたところ
「御朱印ね。最近たまに来るんだよなぁ・・・」「あまり字上手くないから書きたくないんだよね」など不承不承という感じでしたが、
「ま、話でもしながら書こうか、上がりなさい」とお宅に上げていただいき書いていただけることに。
実は親が唐沢山に行きたいということで、直前に合流したので「すみません、2ついただけませんでしょうか・・・」と恐る恐るお願いしてみたところ、ええっ!?(-_-;)という感じでしたが、ありがたいことに親の分もいただけることに。(本当にすみません(^^;)
本当に普段あまり御朱印は書かれないらしく、自分の御朱印帳の前のページなどを参考に「他のお寺さんは上手いなぁ」「他のお寺さんは10分くらいで書いちゃうだろうけど、私は仏様の字を雑に書きたくないから時間がかかるよ」などとお話ししつつ書いてくださいました。
自分は神社用と寺院用の御朱印帳分けてるので特に問題なかったのですが、親は特に分けておらず前のページが神社朱印、しかもよりによって鬼鎮神社という超マニアックなものだったため参考にできず「このお宮さんなんて読むんだ(´・ω・`)」とかなり戸惑ってる様子Σ(´∀`;)
鬼鎮神社について説明したところ
「ふーん、お寺は本尊を書くのに、なんでお宮さんは神様の名前書かないんだろうな?」
言われてみれば確かに!Σ(´□` )
・・・このような顛末で書いてもらえただけでもありがたく、日付が十月になってますがとてもそんなことを指摘できる空気ではなかったので見なかったことw
(親の方はちゃんと十一月になってた orz)
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