けぞうじ(うめざわふどうそん)
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楽しみ方華藏寺(梅澤不動尊) のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月11日(土) 20時15分12秒
参拝:2023年11月吉日
栃木県 栃木市 梅沢町 に境内を構える、梅澤山 金蔵院 華蔵寺、2023.に北関東不動尊霊場にて参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で 全国の寺社、霊場を巡礼してます、寺院対応は、親切で丁寧な対応の寺院様でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 梅澤山、院号は 金蔵院、寺号は 華蔵寺、宗旨 宗派は 真言宗 智山派、ご本尊は 不動明王、北関東三十六不動尊霊場 第十六番札所 梅沢不動尊、梅澤山 華蔵寺は、建仁二年(1202)唐沢城主 佐野安房守実綱の建立と伝えられます。実綱は信仰心が篤く、源頼朝死亡の知らせを受けると、息子宗綱を鎌倉に送り、幕府への忠誠を誓うとともに、頼朝の冥福を祈るため寺を建立しませんでした。
ある日、実綱は 唐沢山城から小曽戸板を通り不摩城へ向う途中、寺尾郷が一望できる頂で馬をとめ眼下を眺めていた。 その時 実綱は、過ぎし日 鎌倉八幡宮 (鶴岡八幡宮)で行われた流鏑馬(やぶさめ)に参加しその技量を讃えられ、政子夫人より紅梅一枝をおくられたことを思いおこし、「先の将軍の冥福を祈るための寺は、この山に建てよう」と決意。その夜、不摩城に入った実綱は、城主木村氏に梅沢の地に寺を建立するよう命令、木村氏は、梅沢村三竹に宗綱の名で寺を建立、梅南に隣接している地なので紅白の梅を境内に植えた。16番札所 華蔵寺(通称:梅沢不動)
その後三百年を経て、一時廃塔されたが、大永三年(1523)に 郷内戸矢子の不摩城主 木村伊豆守により塔頭が再建された。
天正年間には、法印周応和上が醍醐より法流を相承して中興第一世となる。この時、門末十ヶ寺の中本寺となった。
第二世弘典法師は、日光大沢で徳川二代将軍秀忠の帰依(きえ)を得て、石高十石の朱印地をもらい受けた。この時の書状箱は、華蔵寺に現存している。しかし文政
十年(1828)、山火事により廃虚と化す。幾度かの復興を試みたが成功せず、明治維新を迎えた頃、遂に末寺常徳、持宝の二ヶ寺を残して末門はことごとく廃寺となった。
明治37年、金剛照浄和上が第三十五世となり、常徳、持宝の二ヶ寺を合併し興隆を画す。昭和9年には、本堂と庫裏を再建した
ある日、実綱は 唐沢山城から小曽戸板を通り不摩城へ向う途中、寺尾郷が一望できる頂で馬をとめ眼下を眺めていた。 その時 実綱は、過ぎし日 鎌倉八幡宮 (鶴岡八幡宮)で行われた流鏑馬(やぶさめ)に参加しその技量を讃えられ、政子夫人より紅梅一枝をおくられたことを思いおこし、「先の将軍の冥福を祈るための寺は、この山に建てよう」と決意。その夜、不摩城に入った実綱は、城主木村氏に梅沢の地に寺を建立するよう命令、木村氏は、梅沢村三竹に宗綱の名で寺を建立、梅南に隣接している地なので紅白の梅を境内に植えた。16番札所 華蔵寺(通称:梅沢不動)
その後三百年を経て、一時廃塔されたが、大永三年(1523)に 郷内戸矢子の不摩城主 木村伊豆守により塔頭が再建された。
天正年間には、法印周応和上が醍醐より法流を相承して中興第一世となる。この時、門末十ヶ寺の中本寺となった。
第二世弘典法師は、日光大沢で徳川二代将軍秀忠の帰依(きえ)を得て、石高十石の朱印地をもらい受けた。この時の書状箱は、華蔵寺に現存している。しかし文政
十年(1828)、山火事により廃虚と化す。幾度かの復興を試みたが成功せず、明治維新を迎えた頃、遂に末寺常徳、持宝の二ヶ寺を残して末門はことごとく廃寺となった。
明治37年、金剛照浄和上が第三十五世となり、常徳、持宝の二ヶ寺を合併し興隆を画す。昭和9年には、本堂と庫裏を再建した
すてき
投稿者のプロフィール

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宮城県 石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日 旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
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