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たちきじぞうそん

立木地蔵尊の御由緒・歴史
栃木県 葛生駅

創建時代弘仁十一年(821年)
開山・開基空海
ご由緒

嵯峨天皇の弘仁十一年(821)の秋、仙波の瀬戸野から羽鶴峠に向かって、空海上人と弟子の真海が山を登っていた。
二人は峠を越えて出流山満願寺に参詣する途中であった。
峠の頂上にたどり着いた空海は、杉や桧などの生い茂るあたりを見廻したとき、ふと心に強く感じるものがあり、真海とともに草の上に座って永い時間お経を唱え祈祷された。
二人の前に一本の杉が聳え立っていた。それは根本から幹が二本に分かれ、一本は高く、一本は低かったので、土地の人は親子杉と呼んでいた。
空海は大きな杉を選び、真海に手伝わせ、一夜のうちに地蔵尊を彫った。
翌朝「一晩中、羽鶴峠の頂上あたりに光がさし、風にのってお経の声がかすかに聞こえてきた」と、村人の話題になり、村人は峠に確かめに行ってみると、立派な地蔵が立木に彫られていた。一同は驚き地面にひれ伏して拝んだという。
空海の彫った地蔵さまのことはたちまち各地に知れわたり「もったいない。ありがたい」と人々は深く信仰するようになったという。
ところが永い年月がたったある冬のこと、付近の山が火事になり地蔵も燃えそうになった。村の人々は地蔵を守るため、力を合わせ懸命に消火に当たったが、火の勢いはつよく「もうだめだ、仕方がない」と、やむなくお地蔵様を木の根もとから切り離した。
ところが不思議なことに、火はお地蔵様のあった杉の木の近くで消えてしまい、もう一本の杉の木も助かった。
村人たちは、木の前に小さなお堂を建ててお地蔵さまを安置した。
立木に彫られていた地蔵なので「立木地蔵尊」と呼ばれるようになり、土地の人はもちろん、ここを通る旅人、それに遠くからわざわざお参りにくる人など多くの人々に信仰されたという。。
さて、焼けずに残った一方の杉は、年を経るごとに大木になり、昭和五年に文部省より「栃木県名所旧跡並びに天然記念物・空海上人地蔵彫刻の杉」と指定されて、広く世の中に知られ参拝者も多かったが、残念ながら昭和二十五年の夏に落雷があり惜しくも枯れてしまった。

弘法大師の作った立木地蔵尊は全国に二体あり。
もう一体は、空海の故郷四国の愛媛県温泉郡久抜村に安置されているといわれている。
仙波の立木地蔵尊は市の文化財として指定され、毎年五月四日には、厳かに供養が行われている。な

なお、この地蔵については、次のようなご詠歌が残されている。
「二本に(ふたもとに) わかれし杉は のちの世と この世をつなぐ ちかいなるらん」

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