しみずはちまんぐう
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楽しみ方清水八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年02月18日(火) 18時51分58秒
参拝:2025年2月吉日
前々回の怪我の回復を待ちつつ、地元足利・佐野の寺社情報収集と基本情報登録をしておりました🔍️✏️
とりあえず足利に関しては現時点で自分の既知の寺社は全て登録し終えたので、次は佐野に着手☝️
以前何度か取り上げた、佐野に伝わる木曾義高生存説で、義高が居館を構えたと伝わる「御所ノ入」と呼ばれる土地があり、ここには義高夫妻の墓所と云われる五輪塔があるのですが、寺社がないのでホトカミで取り上げるのはちょっと苦しいかな😔💫と思ってたんですが・・・
調査を進めるうちになんと石祠ながら神社があるのが判明💡 これなら堂々と投稿できる😆👍w 怪我もほぼ完治して久しぶりにフィールドワークもしたくなったので行ってみることにしました🚙💨
御所ノ入の谷地の一番奥、ご子孫と思われる家が数戸ある裏に清水八幡宮と五輪塔はありました。このお宅の方々が「木曾ノ直伝」なんだろうか・・・😲
ご覧のように小さな石祠にも関わらず玉垣で囲まれてて、地域で大切にされてきたのが偲ばれます・・・やはり義高公は佐野に落ち延びていた⁉️😳
意外なことに五輪塔が3つあった。一つは義高公、もう一つは妻となった佐野家の姫・・・ではもう一つは❓️
たぶん息子か娘のものだと思いますが・・・私はこれは義高公の身代わりとなって死んだ海野幸氏や宇野平八、あるいは源頼朝の娘で義高公の前妻の大姫のものであって欲しいと思います。
政略結婚ながら義高公と深く愛し合い、父頼朝を欺いて義高を逃がすも、義高が処刑されたことに衝撃を受け心を病み、後鳥羽天皇への入内などのちの縁談も拒み通し二十歳で早世してしまった悲劇のヒロイン😭
そんな大姫のことを偲んで義高公がもう一つ小さな五輪塔を建て、事情を知る佐野家の姫も拒んだり厭うこともなかった・・・などと考えるととても美しいではありませんか💖
北条政子も、大姫が病床に伏し日を追って憔悴していくのは義高を討ったためだと憤ったと云われておりますし
(ただ命じた頼朝ではなく、直接討った藤内光澄を晒し首にしたのはかなり筋違いだと思うが😓www)
後年、北条政子が密かに御所ノ入を訪れたというのも、伝承じゃなく本当にあったのかもしれませんよ🌟
とりあえず足利に関しては現時点で自分の既知の寺社は全て登録し終えたので、次は佐野に着手☝️
以前何度か取り上げた、佐野に伝わる木曾義高生存説で、義高が居館を構えたと伝わる「御所ノ入」と呼ばれる土地があり、ここには義高夫妻の墓所と云われる五輪塔があるのですが、寺社がないのでホトカミで取り上げるのはちょっと苦しいかな😔💫と思ってたんですが・・・
調査を進めるうちになんと石祠ながら神社があるのが判明💡 これなら堂々と投稿できる😆👍w 怪我もほぼ完治して久しぶりにフィールドワークもしたくなったので行ってみることにしました🚙💨
御所ノ入の谷地の一番奥、ご子孫と思われる家が数戸ある裏に清水八幡宮と五輪塔はありました。このお宅の方々が「木曾ノ直伝」なんだろうか・・・😲
ご覧のように小さな石祠にも関わらず玉垣で囲まれてて、地域で大切にされてきたのが偲ばれます・・・やはり義高公は佐野に落ち延びていた⁉️😳
意外なことに五輪塔が3つあった。一つは義高公、もう一つは妻となった佐野家の姫・・・ではもう一つは❓️
たぶん息子か娘のものだと思いますが・・・私はこれは義高公の身代わりとなって死んだ海野幸氏や宇野平八、あるいは源頼朝の娘で義高公の前妻の大姫のものであって欲しいと思います。
政略結婚ながら義高公と深く愛し合い、父頼朝を欺いて義高を逃がすも、義高が処刑されたことに衝撃を受け心を病み、後鳥羽天皇への入内などのちの縁談も拒み通し二十歳で早世してしまった悲劇のヒロイン😭
そんな大姫のことを偲んで義高公がもう一つ小さな五輪塔を建て、事情を知る佐野家の姫も拒んだり厭うこともなかった・・・などと考えるととても美しいではありませんか💖
北条政子も、大姫が病床に伏し日を追って憔悴していくのは義高を討ったためだと憤ったと云われておりますし
(ただ命じた頼朝ではなく、直接討った藤内光澄を晒し首にしたのはかなり筋違いだと思うが😓www)
後年、北条政子が密かに御所ノ入を訪れたというのも、伝承じゃなく本当にあったのかもしれませんよ🌟

御所ノ入の谷地の入口にある同じ名前の蕎麦屋さん🍜
なんとヘリポート付きの高級蕎麦屋⁉️🚁
しかしメニューを見ると・・・「せいろ 700円」あら❓️わりと標準的やん👌😋
なんとヘリポート付きの高級蕎麦屋⁉️🚁
しかしメニューを見ると・・・「せいろ 700円」あら❓️わりと標準的やん👌😋

谷地の一番奥に農家が数軒あり、その裏にあります
やはりこれらの家々はご子孫だろうか・・・💧
やはりこれらの家々はご子孫だろうか・・・💧

事前に集めた情報では神社と五輪塔の写真しかなかったのですが、意外なことに前に古い木造の建物もあった⁉️

なんだろう・・・もと社務所?

二本の杉の巨木が生鳥居のように生えてる🌲🌲

石祠と五輪塔のみですが、ご覧のように立派な玉垣付き
この敬われっぷり・・・本当に義高公はここに眠ってるのかもしれない‼️
この敬われっぷり・・・本当に義高公はここに眠ってるのかもしれない‼️

額は「八幡大神」となってます
屋根にあるのは天狗の羽団扇か👺❓️
「大神」という表現といい、なんとなく山岳信仰の影響が感じられる・・・やっぱり木曾ということで御嶽講とかが祀ったんでしょうか?⛰️
屋根にあるのは天狗の羽団扇か👺❓️
「大神」という表現といい、なんとなく山岳信仰の影響が感じられる・・・やっぱり木曾ということで御嶽講とかが祀ったんでしょうか?⛰️

右には大きな五輪塔と情報にはなかった摂社が一つ
この一番大きな五輪塔が義高公のお墓か供養塔だと思います。
この一番大きな五輪塔が義高公のお墓か供養塔だと思います。

摂社については額もなく祭神不明
こちらの方が古いようにも見えるので、もしかしたらこちらが元々の本宮で、羽団扇付きの方は江戸か明治辺りに山岳信仰系の講組織が奉納したものかもしれない。
こちらの方が古いようにも見えるので、もしかしたらこちらが元々の本宮で、羽団扇付きの方は江戸か明治辺りに山岳信仰系の講組織が奉納したものかもしれない。

左を見ると・・・ん?五輪塔が二基?😳
一つは奥さんの佐野家の姫だと思いますが、もう一つは・・・
私的には、義高公が前妻の大姫を偲んで建てたものだと思いたいです😭
一つは奥さんの佐野家の姫だと思いますが、もう一つは・・・
私的には、義高公が前妻の大姫を偲んで建てたものだと思いたいです😭

【2月26日追記】
なんと御所ノ入と岩崎八幡宮の間に「大姫山」という山がありました‼️😳
ちょっと北にズレてるように見えますが、実はこのすぐ近くに梅園城というのがありまして、ここも義高公(岩崎義基)の居城の一つだったそうです❗ これはもう義高公生存説は確定でしょ👍✨
なんと御所ノ入と岩崎八幡宮の間に「大姫山」という山がありました‼️😳
ちょっと北にズレてるように見えますが、実はこのすぐ近くに梅園城というのがありまして、ここも義高公(岩崎義基)の居城の一つだったそうです❗ これはもう義高公生存説は確定でしょ👍✨
すてき
みんなのコメント(2件)
ひなぎく御所ノ入、報恩寺、岩崎八幡宮の参拝には車がないと無理かなと思っていたので、全部拝見できて嬉しいです🤗
五輪塔、私も大姫を偲んで建立したものだと思いたいです✨
2025年02月19日(水) 23時32分27秒
ひなぎくさん
探せばもう少し出てくるかもしれないけど、やはり義高関連の伝承地で代表的なのはこれに興聖寺を加えた四ヶ所ですね😄
この伝承で唯一可哀想なのが大姫でしたが、北条政子の伝承と、3つ目の五輪塔を見てハッ⁉️としてなんだか救われた気分になりました😊
少し離れた栃木市の旧藤岡町にこの政子伝承を補強するような将軍地蔵が見つかったり、足利に嫁いだ妹の時子さんの菩提を弔うとかを理由にして、政子さんが佐野に来ることも充分可能ではなかろうかとw
2025年02月20日(木) 00時18分52秒
投稿者のプロフィール

くし1703投稿
信仰とは神仏への推し活と見つけたり 御朱印はサイン、御守り・御札はファングッズ、祈祷は握手会、祭りはファン感謝イベントだ!(違) ・・・寺社、歴史、民俗、ヲタカルチャー好きの好事家です。 好きな...もっと読む
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