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2025年02月18日(火) 05時15分 byくし
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天保八年(1837)、閑馬村名主 栗原平三郎が遠原の地主18名と諮って、出井から水を引いて新田420アール余を開いた。 天保十年(1839)その竣工を記念して、新田が一望できる保呂羽神社の境内に庚申堂を建てた。地主をはじめたくさんの人が石に庚申の文字を刻んで納め千庚申となった。 庚申山には1244基の庚申塔がある。農作物の神として信仰を集め、昭和20年までは旧4月1日に庚申祭が行われ、参詣者には酒と赤飯が飲み放題、食べ放題で振舞われ、酔客が夕方遅くまでたむろし、参道には露店も出て大賑わいだった。 祭りが途絶え、頂上にあった庚申堂と神楽殿は形をとどめていない。
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かつての神社跡。 神社そのものより庚申信仰が盛んとなり、1244体もの庚申塔が立つ山。
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天保十年(1839年) 神社はそれ以前からあり
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栗原平三郎・地主18名
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庚申塔
