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2024年01月12日(金) 17時24分 byくし
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大同年間806~10の創建と伝わる。もとは人丸神社の山の裏手に鎭座し湧水の井戸があったので涌釜の呼称となった。 明治四十四年1911に人丸神社と合併し大正二年1913に涌釜神社を現在地に造営して遷宮。 《出流原弁天池の伝説》 昔々、下野の国、佐野の人々は旗川の水を使って田畑を耕していた。 ところがある年のこと、佐野では日照りが続き春から夏にかけて全く雨が降らなかった。田畑の土は白く固まり、耕すことも種を蒔くことも出来ない。 村人たちは話し合いの末、出流原(いずるはら)の磯山で雨乞いをすることにした。 太鼓を打ち鳴らし、火を焚いて雨乞いするが雨は降らない。 そこで神様によく見えるようにと、やぐらを組んでその上に願い文(ねがいぶみ)を結んだ竹竿を立てた。こうして三日三晩祈り続けたものの、やはり空には雲一つ現れない。 村人があきらめかけた頃、空の彼方から霧のようなものが現れやぐらに近づいてきた。その霧はやがて人影となり、竹竿に結びつけた願い文を取ると、それを近くの林に投げ込み自身もその林の中に消えた。 不思議に思った村人が人影の消えた林の中に入ると、そこには白い着物を着た老人が立っている。老人は自分を力の限り打てばお前たちの願いは叶うと言う。 これを見た村人は、震え上がってしまい老人を打つことなどできない。ところが、ここに一人の気丈な若者が出てきて「すまねえ!!」と言いながら老人を棒で打った。 するとどうだろう。不思議なことに若者が老人を打つと、老人は地面に埋まってしまった。そしてその地面からは、勢いよく水が噴き出したのだ。「あの老人は、神様じゃったのか?」 この出流原の湧き水はやがて池となって出流原弁天池と呼ばれるようになった。そしてこの池はどんな日照りでも涸れることなく、村人たちは池に感謝したそうだ。 《別伝》 出流原弁天池の水は、遠く栃木市の山中にある、出流山満願寺より地下を通って流れてくるとの伝承もあり。
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《主》天水分神・国水分神
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10月第二日曜日 例祭
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