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2026年04月27日(月) 22時11分 byくし
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足利貞氏(尊氏の父)の勧請により足利氏河南の鎮護として建立されたといわれます。 【鎮守社 金塚稲荷神社の縁起】 古くは現地丑寅の方百五拾米の地にありと明治の末襌寺和尚代水害の為現在地に移転す。 江戸時代中期龍泉廿四卋、拙癸実和尚(後に建長寺百廿五代住職に転ずる) 山城国伏見稲荷に百日参臘して金塚稲荷となすと古老より聞く。 今、尋ねる人なく昔日の面影を偲ぶよしなしせめて社殿だけと志を持ち両三年住職並びに総代稲村重雄伏見稲荷に再拝して檀信徒の協力を仰ぎ再建成る。依って此の事を子孫に伝うべく石に刻み茲に記す。 (神社由緒碑より)
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足利貞氏(尊氏の父)の勧請により足利氏河南の鎮護として建立されたといわれます。 ―――――――――― 【鎮守社 金塚稲荷神社の縁起】 古くは現地丑寅の方百五拾米の地にありと明治の末、襌寺和尚代水害の為現在地に移転す。 江戸時代中期龍泉廿四卋、拙癸実和尚(後に建長寺百廿五代住職に転ずる) 山城国伏見稲荷に百日参臘して金塚稲荷となすと古老より聞く。 今、尋ねる人なく昔日の面影を偲ぶよしなしせめて社殿だけと志を持ち、両三年住職並びに総代稲村重雄伏見稲荷に再拝して檀信徒の協力を仰ぎ再建成る。依って此の事を子孫に伝うべく石に刻み茲に記す。 (神社由緒碑より)