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2026年04月28日(火) 03時47分 byくし
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千年寺は岩井山城の麓に位置し、乳房地蔵尊が祀られるお堂が残っています。岩井山城は、文正元年(1466)足利長尾氏の初代景人が足利庄代官として居城を構えた歴史的城跡です。本堂の跡地とみられる平地が残り、庫裡と思われる建物は荒廃していますが、かろうじて歴代和尚墓を確認することができます。地元住民及び近隣寺院によって管理されています。 (群馬県邑楽郡千代田町の宝林寺HPより) ―――――――――― 開基は足利尊氏、開山は鎌倉円覚寺の開山無学祖元(仏光国師)四世の法孫仏満という。初め岩井村にあって千年寺と称したが、慶長年間(1596―1615)現在地(足利学校東側)に移転したという。現在、岩井の旧地には地蔵堂があり、石造の乳房地蔵尊を祀る。 (コトバンクより 足利市の善徳寺の沿革) ―――――――――― 【乳房地蔵の由来と御利益】 江戸時代後期、渡良瀬川を流れてきたお地蔵様を、岩井山地区より下流の人々が持ち上げようとしても叶わず、お地蔵様は自ら上流に少しづつ移動してついに岩井山に登った。この時に岩井村の人々が持ち上げたら軽々と上がったので堂を立てお祀りすることにした。 乳が出ない、足りない産婦に「おさご」と呼んでいるお地蔵様への供え米でお粥を作って食べさせると乳が出るようになった。 御利益は人間だけでなく猫にもおよび、乳が出なくなって困っていた六匹の子を産んだ母猫におさごを食べさせたところ、見事に乳が出るようになったという。 ―――――――――― 【総評】 総合すると以下のような縁起・沿革になると思われる。 応安元年(1368) 足利尊氏により岩井山に千年寺を創建される。 文正元年(1466) 長尾景人により勧農城築城 天正十八年(1590)頃 勧農城廃城 慶長年間(1596―1615) 足利学校横に移転して善徳寺となるが、千年寺も岩井山で存続。 寛文七年(1666) 宝林寺が黄檗宗として再興、以後いずれかの時点で千年寺が黄檗宗の末寺になる(本寺については、群馬県甘楽郡南牧村の黒瀧山不動寺だったという説もあり) 江戸時代後期に乳房地蔵尊が建立される。 明治七年(1874) 千年寺廃寺、本尊は所縁のある善徳寺へ。岩井山には地蔵堂だけが残り乳房地蔵尊となる。
編集後
千年寺は岩井山城の麓に位置し、乳房地蔵尊が祀られるお堂が残っています。岩井山城は、文正元年(1466)足利長尾氏の初代景人が足利庄代官として居城を構えた歴史的城跡です。本堂の跡地とみられる平地が残り、庫裡と思われる建物は荒廃していますが、かろうじて歴代和尚墓を確認することができます。地元住民及び近隣寺院によって管理されています。 (群馬県邑楽郡千代田町の宝林寺HPより) ―――――――――― 開基は足利尊氏、開山は鎌倉円覚寺の開山無学祖元(仏光国師)四世の法孫仏満という。初め岩井村にあって千年寺と称したが、慶長年間(1596―1615)現在地(足利学校東側)に移転したという。現在、岩井の旧地には地蔵堂があり、石造の乳房地蔵尊を祀る。 (コトバンクより 足利市の善徳寺の沿革) ―――――――――― 【乳房地蔵の由来と御利益】 江戸時代後期、渡良瀬川を流れてきたお地蔵様を、岩井山地区より下流の人々が持ち上げようとしても叶わず、お地蔵様は自ら上流に少しづつ移動してついに岩井山に登った。この時に岩井村の人々が持ち上げたら軽々と上がったので堂を立てお祀りすることにした。 乳が出ない、足りない産婦に「おさご」と呼んでいるお地蔵様への供え米でお粥を作って食べさせると乳が出るようになった。 御利益は人間だけでなく猫にもおよび、乳が出なくなって困っていた六匹の子を産んだ母猫におさごを食べさせたところ、見事に乳が出るようになったという。 ―――――――――― 【総評】 総合すると以下のような縁起・沿革になると思われる。 応安元年(1368) 足利尊氏により岩井山に千年寺を創建される。 文正元年(1466) 長尾景人により勧農城築城 天正十八年(1590)頃 勧農城廃城 慶長年間(1596―1615) 足利学校横に移転して善徳寺となるが、千年寺も岩井山で存続していたか、もしくは一時廃寺となる。 寛文七年(1666) 宝林寺が黄檗宗として再興、黄檗宗の末寺になる(親寺については宝林寺ではなく、群馬県甘楽郡南牧村の黒瀧山不動寺であるという説もあり) 江戸時代後期に乳房地蔵尊が流れ着き、地蔵堂が建立される。 明治七年(1874) 千年寺廃寺、本尊は所縁のある善徳寺へ。岩井山には地蔵堂だけが残り乳房地蔵尊となる。