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ぎょうどうさん じょういんじ|臨済宗妙心寺派行道山

行道山 浄因寺の御由緒・歴史
栃木県 足利駅

ご本尊《本尊》聖観世音菩薩
《諸尊》山中33,000体の石仏・行基分身入定釈迦涅槃像
創建時代和銅6年(713年)
開山・開基行基
ご由緒

和銅6年(713年)、行基が開山し弘法大師空海が法燈を継いだと伝わる古刹。
中世は山岳信仰の拠点として「関東の高野山」と称され隆盛し多くの修行僧が集った。
法徳禅師(偉仙和尚)が住職の時代に、禅師に篤く帰依した室町幕府3代将軍足利義満が七堂伽藍を造営し、関東四霊場の一つに数えられた。
江戸時代初期の元和9年(1623)に落雷により堂宇や寺宝、記録などが焼失し寿山恵長が再興。その際に臨済宗に改宗、江戸幕府からも庇護され寺領20石の朱印状を賜る。
浄因寺の境内は古来からの修験の場としての遺構が多く残っており石碑や石仏(3万3千躯とも)建物の礎石などが散見できる。
巨石の上建てられた清心亭(木造平屋建、寄棟、桟瓦葺、梁間2.5間)へ渡る「天高橋」の姿は、葛飾北斎が日本十奇矯として「足利行道山雲のかけ橋」として描かれている。
また、奥の院は行基上人が分骨入定された聖地として寝釈迦仏を中心に多くの石仏、石塔が建立されている。
浄因寺本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、正面1間向拝付き。山門、総門共に切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門形式。熊野心月堂は、熊野神が祭られた鎮守社だったと思われる建物で、木造平屋建て、入母屋、妻入り、間口2間、奥行3間、外壁は真壁造板張り、眼象窓風の開口部、神仏習合時代の名残が見られる。
行道山浄因寺境内は自然景観が素晴らしく、宗教的聖地としても貴重な事から昭和50年(1975)に栃木県指定名勝に指定された。

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