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2025年02月18日(火) 03時08分 byくし
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金蔵院は永享元年(1429年)に真言宗醍醐寺の俊海法印によって開山され、境内は南遠江守宗継の居館跡であるという。 江戸時代は南宝寺・宝珠院・金剛院・実相院・不動院・能満寺・千蔵院・成就院・神宮寺を末寺とする中本寺であり、名草弁才天の別当寺でもあった。 明治二十八年(1895年)には真言宗醍醐寺末から真言宗豊山派長谷寺末に宗旨変えとなる。
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金蔵院は永享元年(1429年)に真言宗醍醐寺の俊海法印によって開山され、境内は南遠江守宗継の居館跡であるという。 江戸時代は南宝寺・宝珠院・金剛院・実相院・不動院・能満寺・千蔵院・成就院・神宮寺を末寺とする中本寺であり、名草弁才天の別当寺でもあった。 明治二十八年(1895年)には真言宗醍醐寺末から真言宗豊山派長谷寺末に宗旨変えとなる。 【鎧地蔵尊】 天正十三年(1585)元日、佐野氏当主 佐野宗綱は須花坂より足利を奇襲するも、単騎突出してしまい足利勢の豊島七右衛門に討たれてしまう。 142年後の享保十二年(1727)宗綱の供養のため佐野家の旧家臣により須花坂に祀られた、僧衣の上に鎧帷子を付けた姿の地蔵尊である。 その後年月を経て地蔵を納めた石の宮も崩れバラバラに崩れてしまい、祀られていた場所が金蔵院の所有地であったため、先々代の住職が盗難や散逸を危惧して寺に収容した。
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《本尊》聖観音菩薩 《堂宇》弁天堂
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《本尊》聖観音菩薩 《堂宇》弁天堂 《諸尊》鎧地蔵尊
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足利三十三観音霊場 第十四番
