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2025年02月08日(土) 11時45分 byくし

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ご由緒
編集前
観音寺は足利市山川町の独立丘陵地帯にあり、渡良瀬川からもほど近い場所である。
戦前までは山林地で、地域の信仰のよりどころとして
尊ばれてきた寺院である。
開山などは未詳だが、歴史をひもとけば平安の昔より霊験あらたかな聖地として知られてきたという。
鎌倉時代初期の元暦元年(1184)に、源氏の武将・源義経より、現在の本尊である聖観世音菩薩像が奉納されたと伝えられている。
また、鎌倉時代末期の正慶元年・元弘2年(1332)に、同寺中興開山の祖である実慶和尚により法に灯がともされ、以来600有余年に亘って受け継がれてきている。
(元号が2つあるのは、後醍醐天皇の隠岐配流の後に光厳天皇が改元したが、後醍醐天皇の還幸によって「正慶」の無効が宣せられたため)
境内には、足利市指定の文化財である板碑がある。 由来などは未詳だが貴重な考古資料として、昭和36年(1961)に市の文化財となっている。
同寺は春の桜並木が美しく、近隣周辺だけでなく、遠方より観賞に訪れる人も少なくないという。
(天台宗栃木教区宗務所HPより)
編集後
観音寺は足利市山川町の独立丘陵地帯にあり、渡良瀬川からもほど近い場所である。 戦前までは山林地で、地域の信仰のよりどころとして尊ばれてきた寺院である。
開山などは未詳だが、歴史をひもとけば平安の昔より霊験あらたかな聖地として知られてきたという。
鎌倉時代初期の元暦元年(1184)に、源氏の武将・源義経より、現在の本尊である聖観世音菩薩像が奉納されたと伝えられている。
また、鎌倉時代末期の正慶元年・元弘2年(1332)に、同寺中興開山の祖である実慶和尚により法に灯がともされ、以来600有余年に亘って受け継がれてきている。
(元号が2つあるのは、後醍醐天皇の隠岐配流の後に光厳天皇が改元したが、後醍醐天皇の還幸によって「正慶」の無効が宣せられたため)
境内には、足利市指定の文化財である板碑がある。 由来などは未詳だが貴重な考古資料として、昭和36年(1961)に市の文化財となっている。
同寺は春の桜並木が美しく、近隣周辺だけでなく、遠方より観賞に訪れる人も少なくないという。
(天台宗栃木教区宗務所HPより)
【観音山と山号の云われ】
渡良瀬川の大水のとき、馬頭観音がどこからともなく流れてきて、この丘のところに止まってそれきり動かなくなった。それを村人たちが引き上げてこの丘にまつったので、観音山または流れ山と呼ばれるようになった。
または山自体が今のところに流れ着いたので流れ山と呼ばれるようになったという。
ご祭神/ご本尊
編集前
《本尊》聖観世音菩薩像(伝・源義経奉納)
《諸尊》水子地蔵尊・発願観世音菩薩
《鎮守社》水神宮
編集後
《本尊》聖観世音菩薩像(伝・源義経奉納)
《諸尊》馬頭観音・水子地蔵尊・発願観世音菩薩
《鎮守社》水神宮
Introduction
創立
編集後
不詳
創始者/開山・開基
編集後
不詳
巡礼
編集前
足利坂東三十三観音霊場 第十三番
編集後
足利板東三十三観音霊場(旧) 第十一番
足利坂東三十三観音霊場(新) 第十三番