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2025年02月09日(日) 22時52分 byくし

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ご由緒
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富永金吉は、慶応元年(1865)、久野村大字久保田(現在の久保田町)に生れ、18歳の時、機織の仕事を始めて以来、その後農業・煉瓦工・米屋・瀬戸物商など多くの職業に携わった。
このうち足利周辺で両毛線の線路を敷しく工事で煉瓦を使つかうことから、明治十八年(1885)、煉瓦工場で働くようになり、わずか数ヶ月の間に煉瓦製造方法を修得したといわれている。
その後、職を変かえながら、東京や館林で商売をしていたが、東武鉄道が明治四十年(1907)までに足利までの開通を目指した工事が行われたため、再び煉瓦製造とその建築の仕事が増えてきた。
そのため明治三十五年(1902)、34歳のとき、助戸に煉瓦工場を建て、これにより煉瓦建築も進めた。
大正十年(1921)に足利市会議員に、翌年には栃木県会議員になった。特に市議会議員としては、建築の専門家として、足尾銅山から木造の旧市庁舎を買い受けたり、旧足利郵便局舎の建築に活躍した。また道路拡張にもを尽つくした。
昭和元年(1926)には、足利市商工業合会会頭になる一方で、仕事での利益を学校や消防団などに寄附した。昭和三年(1928)富永奉仕会を作くって社会に貢献した。
【富永公園】
富永金吉が市民の憩いの場として、大正十四年(1925年)に助戸東山の前面の高さ20mの小丘上に、私財を投じて整備した公園。
金剛閣はその展望塔として建設されたものだそうで、平面は縦横4メートル、4層から成っていて高さは10メートル、一番上には◯に金の一字が大きく掲げられている。
またガス灯や見晴館という太陽熱温泉、富永翁の頌徳碑などが建てられたが、いつの頃からか利用されなくなり、現在は遺構を残して藪に埋もれている。
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見所
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寺社仏閣と見なしてよいのか微妙なところだが、一応手水舎があったのと、他に同名のお寺が何件かあったので、富永金吉を祀る霊廟として登録しました
参拝時間
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山号
院号
創立
編集後
大正十四年(1925年)
創始者/開山・開基
編集後
富永金吉
本殿/本堂の建築様式
巡礼
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文化財
ご神体
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