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2025年02月08日(土) 15時22分 byくし
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【足利城跡(両崖山城)】 天喜二年(1054)藤原秀郷の七世子孫、伊勢崎淵名城主 藤原成行が足利に入部、両崖山に築城したと伝えられる。成行が藤姓足利氏初代となり、以後130年間足利地方を統治。 天喜四年、源頼義・義家父子が前九年の役・後三年の役で奥州に平定に向かう途中。足利浅間山の南麓を中継基地とした。これが元となり源姓足利氏が発生した。 平安末~鎌倉初期、源平合戦に連動するように、藤姓足利氏と源姓足利氏が足利庄支配を巡り対立。 藤姓足利忠綱が源姓足利義兼に討たれ、足利庄は源姓足利氏の支配となる。 源姓足利氏は足利氏館(鑁阿寺)を居城としたため、両崖山城には住まなかった。 戦国時代、足利は古河公方軍と上野の上杉軍の戦いの最前線となる。 文正元年(1466)上杉方の武将、長尾景人が代官として足利に入部、岩井山に勧農城を築く、足利長尾氏三代 長尾政長が両崖山城に移り城を再建。 上杉謙信、小田原北条氏、佐野氏らを相手に幾度かの戦いが繰り広げられる。 戦国末期、北条氏配下となっていた足利長尾氏が、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたことにより常陸牛久に改易となり廃城となる。 【木曽御嶽神社】 天保十五年(1844年)に勧請。 令和三年(2021年)2月21日に発生した足利山林火災により全焼。石造りの本殿は無事であったが、社殿を備えていた天満宮と月讀命三日月神社が焼失。 【尾曳稲荷神社】 石井機械製作所創業者 石井清吉が勧請。 清吉は明治二十年代、建具職人として足利の大手織物工場と取引していた。 明治二十五年、まだ日本の技術では作れない紋織ジャガード機を取引先の大手織物工場がフランスから輸入し、それを見た清吉はそのジャガードをなんとしても製作しようと苦心惨憺していた。 心身共に進退窮まった時、上州館林の尾曳稲荷神社に二七、二十一日の願いをかけ一夜霊夢を見 、体も治り苦惨憺の末に紋織ジャガード機を完成する。 あまりの霊験に感動した清吉は、明治二十七年「自宅工場」と足利城跡「両崖山頂」へ社殿を霊奉祀した。 現在も石井機械製作所により管理され守られている。
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《主》大己貴神・少彦名神 《境内社》尾曳稲荷神社 《摂末社》大黒天・天満宮・月讀命・三日月神社・日本武尊・日野大神・御嶽霊神碑・その他
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《主》大己貴神・少彦名神 《境内社》尾曳稲荷神社 《摂末社》大黒天・天満宮・月讀命三日月神社・日本武尊・日野大神・御嶽霊神碑・その他
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https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/education/000029/000169/000627/p000985.html
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足利城址(両崖山城址)に立つ神社。 神社自体は足利城廃城後の江戸時代後期に御嶽信仰により勧請されたもので比較的新しい。 城主の長尾氏が名刀「山姥切国広」を打たせたと伝わる故事から、オンラインゲーム「刀剣乱舞」の聖地とされている。
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いくつかルートがあるが、一般的なのは織姫神社から続く「天狗山ハイキングコース」と思われる。 織姫神社からの距離はおよそ1.9km 所要時間は1時間強。
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天保十五年(1844年)
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不詳
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石祠
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