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2025年02月08日(土) 04時56分 byくし
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資料が見つからず由緒不明。 足利東部の大小山・大坊山等に連なる天道山の山頂にある石祠。
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足利東部の大小山・大坊山等に連なる山塊の一つ、天道山の山頂に神社。 かつては立派な社殿があったそうだが昭和58年2月23日に焼失、現在は山頂に日之宮・月之宮の石祠が祀られている。 戦前までは麓の大月村で「天ノ祭」という祭りも行われていた。 神仏習合の時代は胎蔵界大日如来坐像(仙元大日)を祀っており、現在は市内のどこかの寺院(特定できず)で祀られているという。 縁起については、明暦年間(1655~57)助戸村の木こりが山で神鏡を見つけて持ち帰ると、その晩に鏡が光だした。 数年後、木こりは江戸の武家屋敷へ奉公に出ることになり鏡をもって行った。すると江戸では天候不順がおこり、その原因を占うと鏡が山に帰りたがっているためであるという託宣が出た。 この鏡は江戸の町で話題となり、寛文元年(1661)安藤氏が天道山に建てたお宮に祀られたという。 【富士講との関係と御神体の鏡】 その頃、角行(富士講の信仰上の開祖)の法脈四世 月旺(げつがん)と五世 月心が、日光行道山・出流観音(栃木市)・天もり山(天道山)を見て回った後、ふもとの足利大月村に訪れ布教活動を行った。 天道山にかつて「仙元大日」が祀られていたのは、この時に富士信仰が取り入れられたためと考えられる。 それから22年後、月旺と月心は、江戸の切支丹奉行に取調べを受けることになった。 足利樺崎村・大月村の信徒からも入牢される者が出て、生国大月村の権左衛門の取調べでは「月旺の家の持仏堂には、不思議な鏡があると言うが見たことがあるか」とのお尋ねがあり「不思議な鏡などは見たことはない。嘘だと思うならば使者を遣わしご覧になってください」というようなやり取りがなされたという。 この月旺の持仏堂にあると疑われた鏡こそが、かつて江戸の町で話題になり、日月神社の御神体となった不思議な鏡であるという。
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《主》天照大御神・月読尊
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《主》天照大御神(日之宮)・月読尊(月之宮)
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天道山の頂上にある石祠、参拝するには登山必須。
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天道山の頂上にある神社。かつては立派な社殿があったが昭和57年に焼失してしまい現在は石祠二社が祀られている。 富士講や御神体の光る神鏡に纏わる神社縁起が伝わる。
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不詳
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寛文元年(1661年)
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不詳
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安藤氏
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光る神鏡(焼失)
