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2025年01月19日(日) 14時44分 byくし
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板倉沼が干上る旱魃の時,領主秋元侯自ら黒馬に乗って邑楽郡板倉沼畔の雷電宮に雨を祈願すると雷電山麓の田圃で雷雲生じ豪雨となる。従者の敷いた板の上で雨の収まるのを待ったので板敷田圃の名が残る。靈驗に報いるために山上に登り参拝した。この故事から雨乞いに黒駒の絵馬を奉納する習いがあった。 御神体箱書に「宝永三年1706三月二十五日神威正一位雷電大権現」と書かれている。
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足利市助戸丘陵内の山頂(標高約80米)に鎮座する雷電神社(助戸東山町1742番地)は、助戸各町在住者を氏子として崇敬し各町輪番制で祭事を行っている由緒ある神社であります。 御祭神は、大雷命、配祀、火雷命、山神大山祇命を奉祀し、毎年4月、10月の例祭日に、町内安全、五穀豊穰、商売繁栄等の諸祈願が執行されておりましたが現在は春祭りのみ続けられております。 御創建の年月は審かでありませんが古老の話によれば、往昔足利地方大干ばつに際し足利又太郎忠綱(唐沢城主)が当時農家の守護神たる上雷電宮(雷電神社の北裏山にあった)に使者を遣わし雨乞いをなされ、その御神徳を感じて下雷電宮を建立したのが現在の雷電神社の創祀といい伝えられております。 現在の建物は、享保19年申寅季(1734)地頭高木主水正・六角主殿の再建(棟札に明記)されたものであり、その後昭和32年2月建物の腐朽甚だしく、原形保存に努めるべく補修されております。 明治43年9月2日(1910)火雷命を奉祀する上雷電宮を隣接の山頂に鎮座する下雷電宮(現雷電神社)に合祀し現在に至っておりまりす。 当社御神体奉納箱書記載文によれば宝永3年(1706)3月25日神位正一位雷電大権現と記してあり、当時御贈位があったものと思料されます。 【別伝】 板倉沼が干上る旱魃の時,領主秋元侯(館林藩主秋元氏か?)自ら黒馬に乗って邑楽郡板倉沼畔の雷電宮に雨を祈願すると雷電山麓の田圃で雷雲生じ豪雨となる。従者の敷いた板の上で雨の収まるのを待ったので板敷田圃の名が残る。靈驗に報いるために山上に登り参拝した。この故事から雨乞いに黒駒の絵馬を奉納する習いがあった。 御神体箱書に「宝永三年1706三月二十五日神威正一位雷電大権現」と書かれている。
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足利市街地にある助戸東山の山頂に鎮座 秋元氏(館林藩主秋元氏か?)が、板倉雷電神社に降雨祈願したところ、当山付近より雷雲が立ち上ぼり雨が降ったことから建立したと伝わる。
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足利市街地にある助戸東山の山頂に鎮座する雷電神社。
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なし
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宝永三年(1706年)三月二十五日
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平安時代末~鎌倉時代初期
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秋元氏
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足利忠綱
