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2024年01月19日(金) 06時51分 byくし
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寺伝によると、平安末期に真言宗別格本山鶏足寺末として吽誉法印により明月院と称し開創されました。 本尊は不動明王立像、脇侍衿迦羅、制多迦二童子立像再彩色、薬師如来像、五輪塔、法印尊光があります。 明月院が現在の恵性院と改称されたのは、宝暦元年、舜岳上人の中興の時とされています。 その後も、再三の祝融の災火で伽藍、記録等焼失して寺歴等不詳となり、現在の不堂は明治三十七年第十八世親海代の再建されています。 境内中央にある「小俣水子千躰地蔵尊」は現在二十三世俊明代に建立され遠近の人々の供養がございます。 【笛吹山の由来】 当山境内墓地に、県指定重文の「稚児の碑」という石碑があります。 延文五年に造られた石碑で、足利の伝説として残る稚児と郷土の娘の悲恋物語が秘められています。 往昔、京都の公郷の息子で信光という稚児が故あって明月院で僧道修行に励んでいました。 信光は笛の名手で、毎夜笛吹坂の上で静かな村里に美しい音色を響かせていたと言われています。 やがて寺の西に住む郷士大川義種の姉菊枝姫が琴の音で唱和するようになり、二人はいつしか相思相愛の仲となりました。 しかし、大川家では「道ならぬ恋は家名を傷つける」とした姫を監禁、ある寒い夜、信光にこがれながら姫は命果ててしまいました。 そして、信光も程なく姫との叶わぬ逢瀬にやつれ果て、亡くなってしまいました。 (寺院HPより引用 一部編集)
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笛吹山
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平安時代末期
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吽誉法印
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稚児の碑 (栃木県指定重要文化財)