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2025年02月17日(月) 20時58分 byくし

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ご由緒
編集前
治承年間(1177~1181)駒寄正八幡宮として創建。
かつてこの谷地は佐野庄の中で遠原の郷と呼ばれ、特に当地飛駒は上遠原と呼ばれていた。その頃は豊かな草の繁る山野で野馬が多く生息しており、名馬の産地として知られていた。
時に治承年間(1177~81)この地で二頭の良馬が見つかる。後に宇治川の先陣争いで活躍する「池月・磨墨」である。
名馬ゆえになかなか捕まえることができなかったが、里人は苦労の末になんとかこの二頭を捕らえ源賴朝に献上した。
このことから上遠原を飛駒村に、馬を捉える関を設けた下遠原を閑馬村に改め、産土神として駒寄正八幡宮と称して当社を創建した。
天文十一年(1542)三月、社名を駒方大明神と改称する。(別伝によると池月 磨墨の逸話はあくまで伝説に過ぎず、天文十一年(1542)が真の創建年とするものもある)
元禄四年三月に正一位を授けらる。
明治六年の社格改正の際に駒形神社と改称する。
寛永十年四月 飛駒村も上下に分かれることになり、当時は江州彦根城主 井伊候の領地だったため彦根の彦を用ひて「彦間」と変えられるが、明治十一年の町村制施行の際に、住民の強い希望により上彦間村だけは飛駒に戻された。
編集後
治承年間(1177~1181)駒寄正八幡宮として創建。
かつてこの谷地は佐野庄の中で遠原の郷と呼ばれ、特に当地飛駒は上遠原と呼ばれていた。その頃は豊かな草の繁る山野で野馬が多く生息しており、名馬の産地として知られていた。
時に治承年間(1177~81)この地で二頭の良馬が見つかる。後に宇治川の先陣争いで活躍する「池月・磨墨」である。
名馬ゆえになかなか捕まえることができなかったが、里人は苦労の末になんとかこの二頭を捕らえ源賴朝に献上した。
このことから上遠原を飛駒村に、馬を捉える関を設けた下遠原を閑馬村に改め、産土神として駒寄正八幡宮と称して当社を創建した。
天文十一年(1542)三月、社名を駒方大明神と改称する。(別伝によると、池月 磨墨の話はあくまで伝説に過ぎず、天文十一年(1542)が真の創建年とするものもある)
元禄四年三月に正一位を授けらる。
明治六年の社格改正の際に駒形神社と改称する。
寛永十年四月 飛駒村も上下に分かれることになり、当時は江州彦根城主 井伊家の領地だったため彦根の彦を用ひて「彦間」と変えられるが、明治十一年の町村制施行の際に、地元の強い希望により上彦間村だけは飛駒に戻された。