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2025年01月27日(月) 00時53分 byくし
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本社は、八幡太郎源義家の三男 式部大輔義国の孫 足利宮内卿泰氏二男 板倉次郎義顕が、物見の鎮護として祀る。 天正年間は渋川氏(義顕末裔)が崇敬し、寛永年中の領主 土井大炊頭が本社再建。高木主水正より祭饌料として毎年米一石六斗が献納される。 また寛永年中(1624~44)領主の古河城殿中へ落雷があったが、不思議にも火鉢の中へ壓ちて怪我がなかっため、神の加護なりとしてその火鉢を本社社地に埋めて篤く信仰した。 このため神威が著しいことが人々に広まり 講社も作られ遠近から多くの信徒が訪れ栄えたという。 ある時、隣村の喜福寺の小僧が火鉢を堀り出して山を降ろうとしたところ、それまで晴れていた空が墨を流したかのように雲りたちまち激しい雷雨となった。ところが豪氣の小僧はこれを恐れず火鉢を持ち去ってしまった。今でも火鉢は喜福寺にあって「雷火鉢」と呼ばれている。 寛永十年(1633)社殿修復。 明治四十二年(1909)春日神社,厳島神社を合祀。 昭和十五年(1940)社号標に「雷電神社」と記載。
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足利氏の支城、板倉城の物見守護として創建。 神をも恐れず神器を盗み出した、隣村の寺の小僧の話が伝わる。
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鎌倉時代中期
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板倉次郎義顕
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4月第一日曜日 例祭
