ひらいしはちまんぐう
平石八幡宮 (智光寺跡)のお参りの記録一覧
一つ前の春日神社が足利の支配を巡って破れた藤姓足利氏の悲哀を示す神社だとすれば、こちらは勝った方の源姓足利氏の権勢を示すような神社👑
春日神社から大七山を挟んで東側の麓にあります。
創建は鎌倉時代初期、源姓足利氏4代目の足利泰氏が建立した智光寺という東西200m 南北300mの大伽藍の北辺に建てた神社で、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請。
残念ながら大伽藍は江戸後期に全焼してしまい、唯一残ったのがこの平石八幡宮とのこと。
おそらく往時は春日神社のすぐ側まで寺域が達していたと思われ、藤姓足利氏の生き残り側から見たら完全に「ムッキー!😡」な状態だったと思いますw
祭神も藤原氏の氏神の春日神に対して、こちらはある意味源氏の祖神とも言える八幡神だし、しかも藤姓足利氏滅亡の直接原因となった源頼朝所縁の鶴岡八幡宮からの勧請!
「おめーら、源氏に勝てるワケねーんだから再興とか考えんなよ( ・∀・)ニヤニヤ」みたいな牽制の意味もあったんでしょうねw
まさに驕る平家ならぬ驕る源氏www
ちなみにこの足利泰氏公という方、前に取り上げた鑁阿寺の節分鎧年越こと武者行列、実はあれの創始者だったりもしますw
泰氏公が鑁阿寺南大門前に足利一党の武者500騎を勢揃いさせた故事に因むそうで、これを大正時代に復活させたのが現在の節分鎧年越だそうです👹
入口
なんと6万年前からの遺跡抱合地でもある!😳
36歳で突然出家とのこと
理由は不明とのことですが、当時は北条時頼が北条得宗家の専制化を進めており、有力御家人が次々と勢力を削がれていった時代だそうです
鳥居
智光寺の遺講の一部と思われる岩などか散在
大伽藍あった場所は現在は高校になってます
遺跡抱合地ということで骨董品でも見つからないか地面を探してみたところ、土器片か瓦片らしきものを一つ見つけましたw
神社自体は典型的な田舎の無人社であまり見処はなし😅
平石の名前と何か関係あるのでしょうか?
長方形の岩が置かれてました
拝殿内
中にも平石八幡宮と書かれた扁額
御神体は神宮大麻と大幣束
栃木県のおすすめ2選🎍
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