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平石八幡宮 (智光寺跡)の編集履歴
2024年02月25日 21時55分
ご由緒
智光寺は足利泰氏が文永二年(1265年)この地に立てた寺であるが、寺運は次第に衰え、江戸後期に火災にあって全滅し、今はこの平石八幡宮を残すだけである。
八幡宮は智光寺の境内に、文永六年(1269年)に鶴岡八幡宮より勧請。
1965年、前沢輝政の発掘調査により浄土庭園型式の真言宗の寺で、寺域はこの神社を北隅として、およそ東西200m南北300mにわたることが確められた。
泰氏は建保余念(一二一六年)足利義氏の次子に生れた。母は北條泰時の女である。足利氏の家督をつぎ鎌倉幕府に出仕し、22歳で丹後守から宮内少輔正五位下に進んだ。北條時頼の女を妻としたが三十六才の時出家して證阿と号し、この地に隠れ平石殿と呼ばれた。
鑁阿寺南大門で武者行列を挙行し足利氏の威風を示した。これが現在の鎧年越のおこりである。文永七年(1270年)55歳で没した。法名を智光寺殿という。
(神社由来碑より)
ご祭神/ご本尊
《主》誉田別命
《配》大山咋命
編集前:《主》誉田別命,《配》大山咋命
見所
鎌倉期の足利家の威勢を示す智光寺跡に建つ八幡社
創立
文永二年(1265年)
創始者/開山・開基
足利泰氏
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