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いずみじんじゃ

和泉神社の編集履歴
2024年02月11日(日)
栃木県 野州山辺駅

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くし
2024年02月11日 18時18分

ご由緒

和泉神社(御和泉様)とは?
遥かむかし、上野國・下野国が奪い合ったここ野州山邊の地域は、文字通り山から続いた森林地帯でした。その森や林の木々を伐採し、開墾して農業がはじめられました。最初は畑作だったので、雨期の雨水を利用して稗や粟を栽培して、主食としていたようでした。その為、天候に左右され十分な供給は無く、芋類の栽培も併せて行い日々の糧としておりました。従って、疫病や災害に対処する特段の術も無く、神様への信仰心こそが唯一のより所でした。住民は、集落の高台に石宮を祀り無病息災を祈りつつ働きました。
日照り続きの夏の日、一人の旅僧が石宮の前にさしかかった時、老婆が水の入った茶碗を御宮に供えているところでした。旅僧は「暑くて、のどが渇いてしまったので、その水を一杯私に頂けないでしょうか?」と所望しました。すると老婆は「はい、お疲れの方に差し上げるのなら、神様もきっと喜んでお許しなされましょう!」と言って水の入った茶碗を旅僧に渡しました。旅僧はそれを一気に飲み干して「こんなに優しい心の持ち主にお会い出来てたいへんありがたい、でもこのおいしい水はどこから汲んで来られたのか?」と尋ねると、老婆は「この水は、毎朝わたしの息子が向うの森の泉から汲んでくるのですよ」と応えました。旅僧は「それはたいへんなご苦労ですね、この辺に泉が出ると良いですね」と言って杖で地面を突きました。すると、そこから水が湧き出しました。老婆がびっくりしていると、旅僧は「あなたの親切へのお返しです。ここに井戸を掘って皆でお使いなさい!」と言って森の方へ去って行きました。
その後この地域では井戸を掘って水を汲み上げ、農業の発展に役立ったそうです。そこで、この地区の住民は石宮を『御和泉様』と言って祀り奉りました。以来、無病息災・商売繁盛・子孫繁栄・五穀豊穣等、諸々のご利益のある神社としてここに祀られ現在に至っております。(因みに、旅僧とは、ご存知「弘法大師(空海)」で、この後「石芋伝説のある芋の森・弘法の池」をお造りになった旅僧と同一のおかたです)
(神社案内板より)

見所

小さな石祠だが、弘法大師の湧泉伝説が残り、大変霊験あらたかだという

創立

不詳

創始者/開山・開基

伝・弘法大師

ご神体

弘法の井戸

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