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2026年05月13日(水) 00時25分 byくし

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ご由緒
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745年に行基によって開山されたと伝わる大変な古刹。
本尊の千手千眼観世音菩薩は、通称「夜泣き観音」と呼ばれ、夜な夜な歩き回ったという奇怪な伝承が伝わっているらしい
困りはてた村人が不動明王と鉄鎖で縛り付けてしまったが、そのためか周辺では鉄関連の生業が栄えななくなってしまったという。
南にある矢場川のすぐ向こう側、群馬県館林市の常楽寺にも、似たような動く地蔵菩薩の伝承が伝わっており興味深い。
幕末には当地 荒萩は、美濃国高富藩の領地だったそうで、藩主本庄家との関係があったという。
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※ただし上記はGoogle AIが出してきた情報のため正確かどうかは不明。
単に他の寺院の情報をラーニングしているだけの可能性もあり、足利市で名前の似た萬福寺や、同様の伝承が伝わる近くの常楽寺の情報も参照してみましたが、一応本尊はどちらとも違う様子。
(行基による開山は常楽寺も同様なのでやや怪しい)
いずれにせよ本寺に関してはほとんど資料が出てこず、現時点では山号すらもわからないので、仮にこれを記載しました。
※幕末の情報に関しては、Google Mapに載っていた断片的な情報を記載。
なお本庄家は徳川綱吉の生母 桂昌院の遠縁だそうで、高富藩主になれたのも桂昌院の口利きとのこと。
綱吉所縁りの館林に隣接する荒萩に領地を賜ったのことにも関係していると思われる。
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【腹が大きい弁財天】
館林に伝わる伝承。
ある時、館林城の姫が足軽と身分違いの恋に落ち、子を宿し駆け落ちしたが、満福寺で城の追手に捕まってしまった。 
この悲恋の二人を祀った腹が大きい弁財天が当寺にあるという。
※この情報も「足利の万福寺」という情報しかなく、当寺のことなのか大沼田の萬福寺ことなのか不明。萬福寺の方には弁財天もそういった伝承も見られないようなので、館林に近いこちらに比定しました。

編集後
資料が全くというほど見付からず詳細不明。
断片的に出てきた情報のみ以下に記す。
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【幕末期】
幕末には当地 荒萩は、美濃国高富藩の領地だったそうで、当寺は藩主本庄家との関係があったという。
本庄家は徳川綱吉の生母 桂昌院の遠縁だそうで、高富藩主となったのも桂昌院の口利きによるものとされる。
綱吉ゆかりの館林に隣接する荒萩村に領地を賜ったのもこれに関係していると思われる。
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【館林に伝わる伝承】
ある時、館林城の姫が足軽と身分違いの恋に落ち、子を宿し駆け落ちしたが、万福寺で城の追手に捕まってしまったという伝承かまある。
この悲恋の二人を祀った腹が大きい弁財天がある。
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※この伝承についてもネット上に断片的な記載しかなく「万福寺」が当寺のことなのか、大沼田町の萬福寺ことなのかも不明。
萬福寺の方にはそういった伝承は見られず、館林直近の当寺の方が可能性が高いと思われるが確定できず。
「腹の大きい弁財天」については、もとは城沼の浮き島に立っていたが、尾曳稲荷にある花の弁財天、もしくは竹生島神社に移されたとも云われておりこちらも未確認。

ご祭神/ご本尊
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《本尊》千手千眼観世音菩薩
《諸尊》弁財天
編集後
《本尊》千手千眼観世音菩薩
見所
編集後
足利市の南東の外れにあるためか、情報が全くというほど出てこないお寺で、由緒や本尊はほとんどわからず
上野・下野、館林・足利の境界地であるため、地誌なども乏しく調査困難
創立
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天平十七年(745年)
編集後
不詳
創始者/開山・開基
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伝 行基
編集後
不詳